斬新なデザインや仕掛けをしている賃貸住宅=名物賃貸を毎月紹介する連載です。
ドラマの舞台にも登場する美しさ
東京の駒沢公園周辺は、深沢、八雲などの閑静な住宅地が多いことで知られています。
その一つ、東が丘(目黒区)に泰山館は位置しています。門を入ると、緑豊かな中庭を囲んで三階建、全34戸が入居する建物が広がっています。そのたたずまいは、現代の高層マンションとは一線を画し、海外のリゾート地にあるコンドミニアムを思わせます。部屋をつなぐ通路は広く、ゆるやかな高低差があり、回廊状になっていて、そこを歩くだけでも、心地よさを感じます。
敷地は1000坪弱(オーナー自宅を含む)という広さ。木、石、漆喰などの自然素材を多用した建物ならではの落ち着いた雰囲気があり、周辺に高い建物や看板がないこともあって、雑誌、広告、映画などの関係者からも注目を集め、しばしば女性誌のグラビア、テレビドラマなどに利用されてきました。
オーナーと建築家との幸福な出会い
驚かされるのは、30年近く前の建物でありながら、まったく古さを感じさせないこと。時代の変化に左右されない普遍的な美があることが泰山館の大きな特色です。その最大の理由は、アメリカの建築家・都市計画家であるクリストファー・アレグザンダーの手法「パターン・ランゲージ」を用いたことでしょう。
泰山館がこの理論に基づいて建設された発端は、当時のオーナー、故・小杉勇(こすぎ・いさむ)さんと、建築家の泉幸甫(いずみ・こうすけ)さんの出会いにあります。小杉さんの息子さんで現・オーナーの小杉均(こすぎ・ひとし)さんはこう語ります。
「この土地はもともと農地として近郊農家の方々に貸していたものです。父は会社員でしたが65歳で退職後、ここにマンションを建てようと考えました。しかしこの地域は第1種住専(低層住居専用地域)なので、高層建築は建てられません。どこにでもあるようなマンションでなく、他とは違うことをしたかったので、私の友人を通じて建築家を紹介してもらい、低層マンションを建築することにしました」
ときはバブル経済の時代。小杉勇さんは相続対策としてマンション建設を考えたのですが、ゼネコンなどに任せっぱなしにせず、一から建築の勉強をして取り組みました。詳しい理由は分かりませんが、東京の乱開発を目の当たりにして、それとは違うやりかたをめざしたのかもしれません。いずれにしても、「一つの賭ではあったと思います」(小杉さん)。
このとき、紹介された建築家が泉幸甫さんでした。
泉さんは30歳で建築家として独立、設計事務所を構えて約10年を経たころでした。しかしそれまで仕事は少なく、細々と一戸建て住宅を手がけるような状況だったそうです。世の中はバブル経済に突入していましたが、その恩恵も受けず、むしろ世の風潮に反発しながらこつこつと仕事を続けていました。そんなとき、紹介されたのが泰山館のプロジェクト。それは自分の建築家としての出発点となったと泉さんは考えています。
しかし土地の条件は良くありませんでした。泉さんは「北側斜面で、近くに川があり、低地で湿気が多く、どの駅からも遠い。正直、どうにもならない土地だったのです」と振り返ります。
ここに集合住宅を建設するに当たって泉さんは、パターン・ランゲージを導入しようと考えました。泰山館の仕事を依頼される5年ほど前、泉さんはパターン・ランゲージを実践した経験を持っていたからです。この手法の創始者クリストファー・アレグザンダーが埼玉県入間市に盈進学園(えいしんがくえん)東野高校の建設を手がけることになり、泉さんはそこに日本人スタッフの一人として参加したのです。
「以前からアレグザンダーの理論に感銘を受けていましたが、このプロジェクトに参加して建築家として実際にどう動くべきかを学ぶことができました」(泉さん)。
誰もが共通言語で建築に参加できる手法
ではパターン・ランゲージとは、どのような手法なのでしょうか。
美しく快適な町や建築には、時代や場所を超えて共通する特徴がいくつもありますが、ほとんどの場合、これは言語化されていません。そこで、アレクザンダーはこれを抽出し、言語で記述し、これをパターンと呼びました。パターンには状況、問題、解決法がセットで書かれています。このパターンを基本要素にして組み合わせて共通言語をつくり、建築や都市の計画を進める手法が、パターン・ランゲージです。
近代建築では、建築家が最初に理想の完成形を描き、そこに向けて建設していくのが一般的なやりかたです。それに対しパターン・ランゲージでは共通言語を用い、住民が参加して建築や町のあるべき姿を探りながら計画を進めます。泰山館のプロジェクトでは、建築家の泉さん、弁護士、不動産仲介会社などからなるチームによる事業方式を取り、多くの知恵を集めました。
こうした手法を小杉勇さんが受け入れたのは、目先の収益に走らず、長期的な展望を持って空間づくりをしようとしていたからでしょう。
「小杉さんは、計画地の斜面のプレハブ小屋を建て、1、2週間に一度、約1年間に渡ってパターン・ランゲージの勉強会を実施するところから始めました」(泉さん)。
印象的だったのは、アレグザンダーが、2mくらいの棒を何本も立てて、実際の空間のアウトラインを示しながら、理想の形を探っていったこと。「こうすれば、玄関や廊下の配置、部屋や通路のサイズ、中庭の広さなどを誰もが感覚的に理解できるわけです」(泉さん)。
泉さんはそれに従い、各部屋を一戸建て住宅のように、その位置に最もふさわしい間取りで設計しました。そのため、泰山館には二つとして同じ間取りの部屋はありません。
さらに泰山館を特徴づけたのは中庭でした。シンボルツリーとなったタイサンボクをはじめ、モクレン、ハナミズキなど、植えた木々は100種類以上あります。「緑の効果は絶大だと思います。木は生長して大きくなるほどに建物を引き立ててくれました」(小杉さん)。
例えば中庭を駐車場にすれば、かなりの駐車場代を得られたかもしれません。しかしそれをせず、駐車場は地下に建設し、中庭を広く取りました。「それが豊かな住空間をつくり、結果的に賃料の維持にも役立ちました」(泉さん)。おかげで泰山館の家賃は竣工以来、四半世紀以上が過ぎてもほとんど下がらないまま、今日に至っています。
オーナーの意識が愛される集合住宅に反映
こうして泰山館は、1990年に竣工しました。部屋の面積は平均して60平米から70平米。前述したように間取りや広さは少しずつ違います。
「入居者は40代から50代の方が多いですね。かつては単身者や夫婦二人世帯がほとんどでしたが、今はお子さんのいらっしゃるご家族も7、8世帯はいます。入居者の方々からは、ここに住んで良かったという声をよく聞きます。長い方では10年以上住まれていますね」(小杉さん)。
小杉さんが今、気遣っているのはメンテナンス。「設備の老朽化に伴い、電気、空調、ガスなどはすべて更新しました。近々、屋根にも手を入れなくてはと思っています」(小杉さん)。こうした設備面の配慮も欠かさないことで、泰山館はこれからも長く、愛される住宅となるでしょう。
世には数多くの集合住宅がありますが、泰山館のように年月を経るにつれ、魅力を増すような物件は数少ないものです。しかしそうした物件が増えないと、本当の意味で成熟した豊かな社会にはなりません。
そのためにはオーナーの姿勢が非常に重要であることが分かります。収益だけでなく、美に対する意識の高いオーナーが増えれば、長く愛される集合住宅も増えるでしょう。それは町全体を魅力的にすることにもつながるはず。泰山館を取材して、そんなことを感じました。
泉 幸甫(泉幸甫建築研究所)
小杉 均(株式会社泰山館 代表取締役)
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