ひとり親家庭が抱える住まいの問題と「移住」との関係
川根本町は、静岡県の中央部に位置し、一級河川の大井川が流れ、全面積の約94%は山林という、自然に囲まれたのどかな町です。観光温泉地として知られる一方で、少子高齢化が進み、人口減少や働き手不足が課題となっています。
一方、秋田県にかほ市のアンケート結果によると、一都三県(東京、神奈川、埼玉、千葉)のシングルマザーの4割近くが「地方移住に興味がある」と答えており、ひとり親家庭に地方移住のニーズがあるようです。ひとり親家庭は、子育てと両立できる仕事や公的な支援・補助制度があることを重視して居住地を選択する傾向があるため、人口減少に悩む地方の自治体と住まい探しに困っているひとり親家庭をうまくマッチングできれば、win-winの関係を築けるかもしれません。
ひとり親家庭の移住を後押しする「マザーポート移住」とは
このような問題を解決するために川根本町が、2022年から取り組んでいるのが「マザーポート移住」です。
母子家庭のための不動産ポータルサイト「マザーポート」に移住専用ページを作成し、ひとり親家庭の移住を町ぐるみで積極的に受け入れようというもの。
前述したようにひとり親の移住への関心度は高い傾向にありますが、知り合いが誰もいない見ず知らずの土地に移住し生活していくのは、誰しも不安に違いありません。
ひとり親であればなおさら、生活のために仕事も探さなくてはならず、子どもと過ごす時間も必要です。
また、一般的な子育て世帯の平均世帯年収814万円に対して、母子家庭は373万円というデータ(厚生労働省「2021年度(令和3年度)全国ひとり親世帯等調査報告」「2021年国民生活基礎調査」)が示しているように、ひとり親家庭、特に母子家庭は貧困率が高く、オーナーや管理会社の家賃滞納への不安から借りられる物件が限られるなどの問題も。住所が定まらなければ行政のサービスを受けることも、仕事に就くこともできないという負のループに陥る恐れがあります。
「マザーポート移住では、住宅の確保が困難な可能性のあるひとり親家庭に対して、福祉、移住、教育それぞれの問い合わせを、経営戦略課が窓口になってワンストップで相談に乗るのが特徴です。他の自治体では、各課に相談しなければならず大変というお話も聞きますが、川根本町ではまとめて相談ができるので、安心してお問い合わせいただけると思います」(植村さん)
移住を考える人の事情はさまざまです。自然豊かな川根本町に魅せられた人もいれば、人間関係や仕事、家賃などで困っている人もいるでしょう。実際に移住した人のなかには、子どもが学校になじめず、新たな環境を整えるために移住して来たというケースも見られます。
川根本町では、移住後もひとり親と子どもたちがスムーズに地域になじむことができるよう、移住希望者と地元住民の橋渡し役である「移住コーディネーター」が中心になって地域との間を繋ぎ、暮らし面での相談にも乗っています。
「町の人たちがとても親切で、いち住民として私たちのことを気にかけて見守ってくださるので、働きながらも安心して子育てができる」というのは川根本町に移住してきたシングルマザーの声。移住コーディネーターの神東さんは、近所のおじいちゃんおばあちゃんたちにとっても、子どもがいることで地域が明るくなり、良い影響をもたらしていると感じています。
川根本町で、ひとり親家庭の住まい・仕事・教育環境はどうなる?
ひとり親家庭が移住するとなると、前述したように住居や仕事、育児や教育環境、さらには地域の人たちと上手に付き合っていけそうかなど、事前に確認しておくべき点はいろいろあります。川根本町の事情はどうでしょうか。
まず「住まい」については、ひとり親家庭が住むことのできる住宅として町営住宅、空き家バンク物件、そして民間アパート2棟があります。
ただ、空き家バンクは売買物件が多く、補修を必要とする場合もあって初期費用がかかるのと、すぐに住めないものもあるのが難点。町営住宅は比較的リーズナブルですが、空いている部屋が少なく、タイミングによっては、いつでも入れるというわけではないとのこと。希望通りの物件が必ずあるというわけではないので、なるべく希望に添えるものを町の担当者や移住コーディネーターが一緒に探します。
また、子どもの通う保育園や学校といった環境も気になります。
「川根本町には小学校が2校あり、そのうちの1校は1学年4~10名程度の小規模な学校で、もう一つの学校は1学年20名程度です(2024年度から小中一貫の義務教育学校2校となります)。実際に授業風景などを見てどちらの学校が良いか決めてもらい、その学区内で住まいを探すという流れになりますね」(神東さん)
さらに、移住先でどのような仕事があるのかということも重要です。マザーポート移住のホームページでも地元の企業がいくつか紹介されています。
「基本的に、常に求人はあり、働き口はありますが業種や職種は限られます。ひとり親家庭の場合は、お子さんがいるので土日が休みであることや、突然の病気や学校の行事などでは融通がきく仕事でないと厳しいですよね。女性だと土建業などの現場仕事は体力的に難しいことが多いですし。マザーポート移住には、そのような事情にも比較的理解のある会社を掲載しています」(神東さん)
KAWANEホールディングスはそのような会社の一つです。代表の迫洋一郎さんは、マザーポート移住を川根本町に提案した一人で、自身も数年前に地元で起業した移住者だそう。ほかにも、最近は農家民宿やゲストハウス、飲食店といった事業を自分で営む人も増えているそうです。
ひとり親家庭も活用できる制度を整備。移住者の増加で町が変わる
川根本町は2022年にマザーポート移住を始める前から、ひとり親に限らず、移住者を呼び込むためにさまざまな移住制度の充実を図ってきました。例えば、家賃や住宅購入費用(川根本町定住・移住促進住宅家賃購入補助金)、住宅改修(川根本町定住・移住促進住宅改修事業費補助金)のための補助金や「こども医療費助成制度」などの助成金を設置。移住してくる人に対してはまずはこの町の暮らしを体験してもらうための「お試し住宅」、移住や就業にかかる費用を助成する「移住・就業支援金」制度もあります。その甲斐あってか、ここ数年では、Uターンも含めて年間約40名ほどの人たちが川根本町に移住しているそうです。
近ごろでは、移住してきた人たちがSNSで町での暮らしを発信し、町でのイキイキとした暮らしぶりを見て新たに移住してくる人もいるのだとか。地元の人たちも新しいお店に出入りして、新たなネットワークができているといいます。
「若い移住者のエネルギーで新しいつながりが自然にできて町が活性化することは大歓迎です。町としても地元の人と移住してくる人の橋渡しを強化していくために、今まで1人だった移住コーディネーターを2人に増やして、移住を希望する人たちにより行き届いたサポート体制を整えています」(植村さん)
このようにひとり親家庭に限らず、移住者が入りやすい地域の雰囲気があることも、地域のサポートを期待したいひとり親家庭にとっては重要なポイントでしょう。
全ての人に移住が向くわけではない。親子が共に生活を楽しめる環境へ
しかし神東さんは「誰にでも移住をおすすめするわけではない」と言います。かつて親子で移住した人の中には、子どもは友達もできて楽しく暮らしても、お母さんが地域に馴染めず、転出した人もいたそうです。
「例えば、川根本町での暮らしに車は必須。運転免許や車のない人は、ここでの暮らしは向いていないでしょう。また、地域のコミュニティーに溶け込んでいくには、自分から心を開いてなじもうとする姿勢が必要だと思います。子どもたちは手厚い教育が受けられるし順応力もあるので、実は私たちもあまり心配していません。むしろひとり親のお母さん、お父さんが孤立しないかを常に気にかけています」(神東さん)
「ひとり親家庭への支援がきっかけになって川根本町に興味を持ってくれる方、住みたいと思ってくれる方が増えていくような制度になっていけばと思っています」(植村さん)
移住を検討するときには、子どもだけでなく親自身がいざというときには相談に乗ってもらえるような人間関係を構築して、移住先での生活を楽しむ姿勢が必要なようです。
今回話を聞いた川根本町では、マザーポート移住を開始して、2023年12月現在で問い合わせは4件。うち実際に移住したひとり親家庭は1件です。ひとり親の移住支援として実績だけを見ると、年間40名の移住者の中で、この制度の認知度はまだまだこれからの感があります。
しかし、住まい・仕事・教育、そして地元住民との交流など、複合的にサポートが整えられていることは、ひとり親家庭にとって魅力的で、認知が進めばもっとニーズは広がっていくのでは、と思いました。今後も、このような自治体の動きを注視しながら、ひとり親家庭がより良い暮らしを追求できるよう応援していきたいですね。