今、デュアルライフ(二拠点生活)に注目が集まっています。空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、特別な富裕層、リタイヤ層でなくてもデュアルライフを楽しむ選択肢がでてきているのも背景です。しかし、自分の希望する仕事は都会にしかないし、いける頻度も限られるし、デュアルライフの実現に、自由な働き方は不可欠。そんな新しい働き方に取り組む企業や、個人についてシリーズで紹介していきます。
徳島県三好市をサテライトオフィスにした実験的な取り組み
四国のほぼ真ん中に位置し、古くから宿場町としても栄えてきた三好市は、さまざまな人とモノとが交流する拠点となってきた歴史を持つ。中心街となるJR阿波池田駅を降り、アーケード付きの昔ながらの商店街、刻みたばこ業で栄えた商家の並ぶ風情ある街並みを抜けた先に三好市地域交流拠点施設『真鍋屋』愛称MINDE(ミンデ)がある。広い中庭を有するこの空間は、江戸時代は刻みたばこ業、その後は醤油製造などを営んでいた。近年、土地家屋は持ち主の好意により市に寄贈され、リノベーションを経て、現在の地域交流拠点施設となった。 野村総研では、三好市をサテライトオフィス兼宿泊場所として年に3回、約1カ月間ずつ従業員を派遣しており、今回はここ、真鍋屋がその場となった。三好キャンプと呼ばれるこの取り組みは、2017年冬から始まりすでに5回。普段は東京大手町・横浜のビルで働くのべ60人余りの社員が参加し、実験的な活動が続いている。
起きてすぐ起動! 明るい時間に街と自然を堪能
私たち取材班が真鍋屋に着くと、サテライトオフィスと中庭を挟んだ古民家カフェレストラン「MINDE KITCHEN(ミンデキッチン)」へ。まずは野村総研の従業員の方と一緒にランチをいただいた。ここでは、新鮮な地元の野菜を使った食事が楽しめ、2階部分はドリンク片手に自習する学生たちも。ランチの間も、ベビーカーを押した地元のママや、夏休み前で早く授業を終えた高校生たちがやってくる。中庭には地域猫の「ぬし」ちゃんがパトロール。生活者がいる風景、普段の都会の社員食堂とは違う、リラックスした雰囲気だ。
そしてワークスペースへ。昼食を終え、午後の業務が始まった。真鍋屋の中庭を望む土間タイプの室内に、大きなテーブルを置き、各々ワークを行う。東京との会議は、会議システムを使って音声や資料のやり取りをする。従業員参加者に聞くと、音声の遅れ等、特に不便は感じないという。
実は徳島は県全域に光ファイバーが普及した通信環境が強みの県、CATV網の普及率は7年連続日本一という。交通利便性が低く、企業誘致が難しい課題に対し、この環境を活かして企業のサテライトオフィスを誘致しようと長く取り組んできたことが成果を上げてきており、現在65社(うち三好市は8社)の誘致に成功している。通信網は、その環境にどれだけ利用があるかで速度に差が出る。高速道路に例えると利用者の多い都会は渋滞しているのに比べ、ここ徳島はガラガラの道路をスイスイと走行しているようなものだという。
このワークスペースの奥の主屋部分が宿泊できるようになっており、野村総研の従業員はそれぞれ個室に寝泊まりしている。ダイニングキッチン、リビングもあり、仕事を終えると、近くのスーパーに買い出しに行ってみんなで鍋を囲み、朝はそれぞれ好きなものを好きな時間に食べて仕事に臨む。
「宿泊施設がオフィスですから、朝のスタートダッシュがとにかく早いですね。東京だと、9時から仕事を始めるにも、1時間以上前には家を出て、まず満員電車通勤に疲れ、仕事のスイッチを入れるのにコーヒーで一服、と起動に時間がかかるところが、ここなら、起きて朝食を食べたらすぐにフル稼働です。7時から仕事を始めて16時に終えてしまうといったことも。先日、夕方の明るいうちから、かつてたばこ産業や宿場町として栄えた歴史ある街道や吉野川の自然をレンタサイクルでめぐるツアーに参加してきました。とにかく1日を有効に使えますね」(従業員参加者)
通勤時間に追われ、毎日同じ景色を見ている都会での働き方とは時間の流れ方が大きく違うわけだ。
一度きりで終わらない、地域の人との交流とビジネスを生む工夫も
野村総研ではこのキャンプで地域貢献や、地域特有の課題解決にも挑戦している。地元の学校へのロボットやVRをテーマとした出張授業、行政職員向けに業務改善を目的としたIT勉強会、鳥害獣害や水害などに対するITを活用した対策検討などだ。またこれらオフィシャルな活動だけでなく、「四国酒祭り」や「やましろ狸まつり」といったローカル活動へのボランティア参加も積極的に行っている。キャンプには前回参加した従業員を案内役として必ず1名以上入れることで、せっかく顔見知りになった縁が途切れずに、次のキャンプ参加者につなげていけるよう運営も工夫をしている。この三好キャンプにも早期から関わり、毎回参加している野村総研 福元さんが街中を歩けば、役場の人、商店の人、あちこちから声をかける人が現れる。今回が初めてという参加者も、おかげでスムーズに地域の人たちとの交流に入ることができたという。
「都会では職場の人間関係ばかりになりがちですが、ここでは多様な人と交流を持つ場があり、その出会いからいろんなところを案内していただきました。商店街を歩いていても、JR四国の備品をシンボルにした鉄道好きにはたまらないおしゃれなカフェやゲストハウス、都会にあっても驚くほど種類が豊富なワインショップなど、個性あるお店も多いんです。歴史的にさまざまな人たちが行き交う宿場町だったことからも、情報感度の高い人が集まりやすい街だそうです。今では馴染みのお店も増えて気軽に行くことができます」(福元さん)
非日常環境での経験をキャリアの見直し、イノベーションに
野村総研といえば、シンクタンクとしての役割はもちろん、コンサルティング、システム開発など、幅広い分野でビジネスを支える企業。そんな野村総研がこのキャンプで挑戦していることは、働き方改革の推進、地域貢献活動、そしてイノベーションの創出だ。都心に人も職も一極集中しているなか、地方は高齢化や過疎などにより地域社会の担い手が減り、従来からのインフラ、生活環境が維持できなくなってきている。政策でもビジネスでも地方創生は大きなテーマだ。
「行政や地域事業、イベントに関わる体験を持つことで、地方ならではの新しい価値を発掘することや、同じ従業員でも、異なる経験やスキルを持ったメンバーによる共同生活の中から、新たな価値を生み出す相乗効果にも期待しています。私自身もそうですが、50歳くらいの年齢を迎える人に積極的に参加してもらいたいと思っています。会社としては、これからも活躍してほしい、一個人としては、あと10年以上は続くビジネスパーソンとしてのキャリアをどうしていきたいか、どんなことが生み出せるか、刺激のある場で考える機会ができます。ここでの時間の流れ方、さまざまな経験や出会いは、後から振り返ったとき、きっとキーポイントになっていると思いますね」(福元さん)
実際、参加者からは、自分の働き方や時間の使い方を見直すきっかけになった、地域課題に直接触れるので、その後のアンテナや関心も広がったと、キャンプ終了後の働き方にもプラスの効果が表れているようだ。
取材班が訪ねた日の夜は、今回の宿泊場所のキッチンダイニングで地元の市役所の人たちと、持ち寄り式の懇親会が行われていた。三好市もほかの地方都市同様、高齢化、少子化が進む。だからこそ、野村総研のような「関係人口」の知恵や力に期待を寄せている。「関係人口」とは、そこに暮らす「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉。日本全体の人口が減っていく中で、一人の人が一つの地域に縛られるのではなく、複数の地域と関わることで、活躍の機会を増やすとともに、地域にとっては、地域社会の一部担い手となってもらおうという発想だ。
参加者の一人、市役所の中村さんは言う
「地方市役所と都会のIT企業、まったく異なる環境で働く人たちがこうして交流することに、進化の可能性を感じています。今日、焼いているこのお肉は猪で、畑を荒らす害獣ですが、豚よりもうまみが強くおいしいんです。三好の資産としてもっと広げていけないか、安定的に供給していくために日々考えています。三好に住んでいる人間には当たり前で目にとまらないことが、都会の人の目にはどう映っているのか、刺激をもらうことで私たちも進化していくきっかけになればと。このような出会いや機会を大切にしていきたいですね」
たった1日だけだったが、見学と取材とでこのキャンプに触れ、今、置かれている都会の環境の方が、むしろ仕事がしづらいのではないかと気付かされた。満員電車に乗り降りし、人混みの邪魔にならない速さで歩き、フロアに行くためにエレベーターに並び、会議のたびにいろんな部屋を行ったり来たり。蛍光灯でいつも同じ明るさのオフィスにいると、いつ夕日は沈んだのか、雨はいつ止んだのかに気が付くこともない。一日の天気の変化を感じ、生活者がすぐそばにいる環境だからこそリラックスして発揮できる集中力や、ビジネスを生むための生活者目線がここでは強く持てる気がした。リモートワークが普及して、仕事などどこでもできるのだと思っていたが、それは単に合理性の追求だけではなかった。積極的にここでしかできない体験や交流をするという24時間の使い方すべてが成果であり、個人にとって価値あるものだろう。働き方と住まい、幸せのために重要なこの要素が柔軟に混じり合う三好市のような地方がビジネスを生む場としてより機能していくことに期待したい。