駅から車で数分の場所に、安井さん家族が送るデュアルライフの拠点となる家があった。家族構成は安井省人さん(45歳)、妻の陽(あきら)さん(37歳)、5歳の双子の息子と娘。
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、さまざまな世代がデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます
取材に訪れたのは7月中旬。降るような蝉の声と鳥のさえずりが耳に心地よい。
省人さんは東京でいくつかの会社で仕事を兼業している。平日は神奈川県川崎市のマンションに一人で生活し、金曜夜から翌月曜の夜までを小淵沢で家族と過ごす。
二拠点生活に踏み切るきっかけは一時期話題になった「保育園落ちた!」だ。とはいえ、事態を前向きに捉えた。
省人さんは当時をこう振り返る。
「子どもが生まれて、まず0歳児の時点で保育園に入れなかった。でも0歳のときはそもそも入園できる保育園も近所には1園しかなく、それほど大事には捉えていませんでした。しかし、結果として妻は仕事に復帰できないし、途方にくれました。そして、1歳の入園申し込みの時期が来たときに子どもにとっての都会暮らしについて深く考えるようになりました」
陽さんも言う。
「保育園を申し込むために、いろんな園を見学しましたが、田舎育ちの主人や、郊外のニュータウンで育った自分の環境に比べると、園庭が狭かったり、歩道のない道を子ども2人と歩く想像などをして、都会でのびのびとした子育てをすることの難しさを感じていました」
元々、夫婦の間では、遠くない将来、田舎暮らしをしようという話はしていた。伊豆、九十九里、茨城、福島、長野。結婚後は車でいろんな田舎を巡っていた夫妻。漠然とした将来の生活の下見のような意味もあった。保育園に入れない間にも刻々と時間が過ぎていく中で、もう少し先に描いていた田舎暮らし計画が、今の自分たちにとって必要なものとして、少しづつ現実的に考えられるようになっていった。
「海沿いの生活にも惹かれましたが、そもそも、僕が兵庫の山あいのまち、妻が千葉の内陸の出身。二人ともサーフィンやマリンスポーツを楽しむというのも志向的にイメージできなかったし、山の姿に妙に落ち着くことに気づきました」
小淵沢にピンと来たのは陽さんだった。
「『水がきれいだから美味しいウイスキーができるんだよね』と言って水と自然の美しさを求めて白州に行ってみました。帰るときに小淵沢インターを使うんですが、そこで見た八ヶ岳と南アルプスの眺望に感動したのが最初のきっかけ。2人が好きなニュージーランドの風景にどこかしら似ているのも決めた理由のひとつです」
二人はさっそく北杜市内の不動産屋を訪れた。そこで紹介されたのが現在の土地だ。
「周辺の土地相場に比べて、ここは斜面の雑木林でさらに安かった。約200坪の土地は都会では考えられない額でした」と省人さん。
2015年1月に土地を探し始めて3月に決定。長野県原村に営業所を構えるアトリエDEFとの打ち合わせが始まる。「木と土の力を活かして、自然に寄り添う暮らし」がコンセプトの工務店だ。床はカラマツ、梁は杉、土壁に漆喰(しっくい)という理想の家は8カ月で完成した。
双子の保育園もすぐに見つかり、陽さんはパート勤務で仕事復帰を果たしている。
「以前は正社員で働いていたので、給料こそ減りましたが、通勤時間も短くなり、ここでは余裕をもてる時間が増え、平日の出費がほぼゼロ。都会の子育てでは、子どもを連れて移動するだけでも一苦労で、心の余裕がなく、ふさぎ込んでしまうこともありましたが、移住後は開放的な環境で、自然と共に暮らす充実した毎日です」
「割った薪は乾燥させて1、2年後に使えるようになります。エアコンはいらないし、光熱費として考えると川崎に家族で住んでいたころより安くすんでます」
省人さんは庭に畑をつくって、トマト、トウモロコシ、枝豆、かぼちゃ、さつまいもなどを育てている。
さらに、夏場はご近所さんから野菜のおすそ分けがある。
「今朝もお隣さんからじゃがいもとズッキーニの差し入れをいただきました。留守の場合は玄関先に置いてくれるんです。地元のみなさんに馴染んでご近所付き合いができるのか当初は不安もありましたが、杞憂でした。北杜市は移住者が多いから受け入れる土壌ができているんでしょうね」
冬には「八ヶ岳ブルー」と呼ばれる真っ青な空と白い雪山とのコントラストが楽しめる。身近に絶景のある暮らしは最高だ。
そして、何といっても移住を最も喜んでいるのは子どもたちだ。二人とも引っ込み思案だったが、小淵沢に来てからは社交的かつ活発になったという。
陽さんが言う。
「神奈川県川崎市で暮らしていた場所は交通量が多いので、子どもたちと道を歩いていても、ずっと『危ない!』と言わなきゃいけない。そういうストレスが子どもたちにも自然に溜まっていたんじゃないでしょうか」
二人の子どもはネット動画も見ないし、キャラクターグッズでも遊ばない。テレビもほとんどつけない。すぐそばにあるもので自由に自分たちで考えて遊ぶ。子ども部屋にあったオモチャは実にクリエイティブだった。
省人さんは言う。
「最初はこっちでもパソコンを開いて仕事をしてましたけど、今は楽しいことが多すぎて徐々にしなくなりました。田舎暮らしは意外とやることが多いんです。その分、東京のオフィスと特急あずさの車内では集中して働いています(笑)」
今後について、省人さんは笑いながらこう言った。
「でも、せっかくだからまた違う土地にも暮らしてみたい。老後は海沿いもいいし、逆に都会という選択肢もあるなあという話はしています。あまり生きる場所を固定せず旅するように生きていけるといいなぁと」
最後に二拠点生活を検討している人たちへのアドバイスを聞いた。
「やりたいなら早く実行した方がいい。子どもが成長すれば生活環境を変えるのが大変になりますから。育てる場所が決まれば、その後の教育プランも立てやすいでしょう」
小淵沢に完全移住するか。別の場所でさらに田舎暮らしを満喫するか。あるいは、東京に戻るか。いずれにせよ、家族全員が大満足の二拠点生活は当分続きそうだ。