なぜ、池田町に移住し、タイニーハウスという小さな空間で暮らし、ハンターとしても活動するのか? つねに自然の循環の中に自身の暮らしがあるという長谷さんの眼差しは、私たちの生き方や子育てを見つめなおすきっかけになるかもしれない。
※Dの文字を横にしたような地上部分からドーム型になっている建物。地上部に垂直の壁があって、その上部がドーム型になっているDH型、RH型などの形状もあり開口部が広いことから倉庫などさまざまな用途として使われている
毎日がキャンプ!? 移動できる住まいをつくって
十勝ワインの産地として知られる池田町は、十勝平野の中にある人口約6300人の小さな街。この街の畑作地帯にある、かまぼこの形状をしたD型倉庫に長谷さん一家は暮らしている。
倉庫の奥行きは20m以上と広く、入って右手には靴やカバンなどの革製品が並べられたギャラリー、左手にはシカ肉の保管庫、奥には事務所、作業場、そしてタイニーハウスと子ども部屋。さらに倉庫の裏手にはコンテナを利用した客室もあった。
2018年に知人の紹介でD型倉庫を購入。大工としても活動をする長谷さんがコツコツと改修を進め、翌年にギャラリーをオープンさせた。この建物は、もとは高校の野球部の屋内練習場として建てられ、その後、羊の飼育が行われていたという。
倉庫の中でひときわ存在感があるのは建物の中にある建物、タイニーハウスを利用したワンルームほどの広さの居住空間だ。
「タイニーハウスは仮住まいのためにつくったんです。土地を探していずれ本邸を建てようという計画があって。移動可能だから本邸を建設しながら、その脇で暮らすこともできると考えました」(長谷さん)
入り口近くにあるキッチンには、コンパクトに機能を集中させている。寝室はロフト。収納が少ないため登っていくハシゴのステップを引き出しにするなど随所に細かな工夫がある。
そしてもっとも目を惹くのは中央に位置している、エゾシカの革を8頭分使ったというソファ。子どもたちの遊び場にもなっているようで、使い込んで良い味が出てきていると長谷さんは微笑む。
一家は、妻の真澄さんと、長男の李咲(りく)君、次男の掌(しょう)君の4人家族。本邸を建てる候補の土地はまだ見つかっていないそうで、この4月で丸4年、タイニーハウスに思いがけず長く住むことになった。倉庫内には、タイニーハウスとは別に入り切らない荷物を収納するスペースがあり、子どもの成長に合わせて部屋を増設したりも。
「居住空間が狭いと家事がやりにくかったりしますが、子どもたちは楽しそうにしています。友人が来ると『毎日がキャンプみたいだね』って、ワクワクしてもらえるのはうれしいですね(笑)」(真澄さん)
住まいとしてつくったタイニーハウスは、キッチンだけでなくバスもトイレもあり、人件費を除いた材料費や設備費を合わせると530万円ほど。池田町は厳冬期にはマイナス20度を下回ることもあるが、床暖房の設備があって快適だという。
「小さな家は材料が少量でいいので、質の高い木材を使うことができますね。また暖房費の節約にもなります」(長谷さん)
大学を出てから沖縄、群馬で暮らし、地域おこし協力隊として北海道へ
長谷さんは東京出身で、出身大学は上智大学の法学部。大学卒業後に沖縄のやんばる地域にある自給自足の暮らしを行う牧場で2年間を過ごした。卒業したらすぐに就職、そんな流れとは違う可能性があるのではないかと思ったからという。馬やヤギとともに暮らし、家を建てるのも自分たちの手で行っていた。沖縄で暮らす中で、やがては建築の仕事を深めてみたいと思うようになった。
兵庫出身の真澄さんとは、この牧場で開かれたイベントで知り合い、それがきっかけとなって、その後に結婚したという。
長谷さんが大工の修行をしたいと選んだ場所は群馬。地元の材を活かすログハウスメーカーで5年間働き、長男を授かったタイミングで独立することにした。
「大学時代にバックパッカーとしてアフリカやアジアなどさまざまな場所に行きました。中でも星野道夫(写真家、1952-1996)さんの本に影響を受けて、アラスカを2カ月かけて縦断したこともありました。そんな経験から北での暮らしをしてみたいと思うようになって」(長谷さん)
長谷さんは新天地を探すため移住関連のイベントに足を運ぶようになった。イベントで池田町の人々とつながり、エゾシカの解体処理施設の新設にあたり、そこで働く地域おこし協力隊を募集していることを知った。
「自給自足に関心があり、その中で狩猟はいずれ経験したいと思っていました」(長谷さん)
2016年に池田町に移住。エゾシカの解体処理施設の運営とともに、ハンターとしても活動を開始した。
自然の恵みである木を活かすログハウスビルダーとしての活動
移住後、エゾシカに関わる活動とともに、大工としても長谷さんは事業を展開。ギャラリーの奥にあるタイニーハウスは、自宅ではあるがモデルハウスの機能も兼ねており、「木耕」という名で、ログハウスや小屋、家具の制作を受注している。
最近、受注が多いのはJR貨物のコンテナを利用したサウナ。上士幌町の十勝しんむら牧場のミルクサウナなど、これまで3台を制作してきた。3.6×2.5mという小さな空間は、施主によって求める要素はさまざま。コストを抑えれば200万円ほどでもできるし、要望を盛り込んでいけば400万円ほどかかることもあるそうだ。
長谷さんが大工としてこだわっているのは、木という命を無駄にせず暮らしに活かすこと。道内の木材の多くが、バイオマスの燃料やパルプ材となってしまう現状の中で、新たな価値を与えようとしている。
昨夏、取り組んだコンテナサウナは「北欧のスモークサウナ」をイメージしてほしいと依頼を受けたという。
そこで、地元のカラマツを板にし、荒々しい木肌のまま内装材として使用。「カラマツは元々とてもクセが強く、建築材としてはかなり嫌がられる存在ですが、そのクセを鉄のフレームで力ずくで抑え込んだ力作」だという。
鉄のフレームは自身で溶接し、カラマツはすすで黒ずんだ雰囲気を醸し出すような塗装を施した。
エゾシカの命をいただくことに感謝し、それを糧にする
移住してから始めたエゾシカの解体処理施設の運営および、ハンターとしての活動は、自然の循環と生と死というものを深く見つめる契機となった。
「うまく利活用されず、廃棄されてしまう頭数の多さに衝撃を受けました」(長谷さん)
エゾシカの生息数は、この30年で急増。現在は減少傾向となっているが、農産物の食害は後を絶たない。そのため町内だけでも、年間600頭が捕獲されているという。
「捕ったからには無駄にしたくない」と、シカの「皮」を「革」として甦らせるための活動をスタートさせた。「皮」とは動物の皮膚である状態。それらを鞣(なめ)すことで素材としての「革」となる。
長谷さんは、この鞣を姫路の工房に依頼するとともに、自らも挑戦している。
「鞣(なめし)の方法は1000年以上変わらない原始的なものなんです」(長谷さん)
倉庫の裏手には革鞣しの作業場がある。タンニンが含まれる樹皮や果皮を入れた樽に、下処理を施した皮を半年以上漬け込む。皮に含まれるコラーゲン成分とタンニンとが結合することによって、腐敗のない安定した素材になるのだという。
個人で鞣(なめし)をし、それを「革」という製品にするには、果てしない困難があるというが、その一つ一つをクリアできるように長谷さんは実験を重ねている。
昨年トライしたのは、近隣から譲り受けたブドウの搾りカスと町内で伐採されたミズナラ、カシワの樹皮を、町のワイン事業で使い古された樽で、皮と一緒に漬け込むというもの。
「山で命をいただき、その同じ山にあるもので丹念に鞣(なめ)し上げたこの革は、僕にとって伝えきれないほどの物語性に満ちている」と長谷さんは感じた。
多くの工程を経て革となった素材は、信頼を寄せる革職人へとわたり、靴やカバン、家具へと変身を遂げていく。
製品には、シカの年齢、性別、捕獲日時とともに捕獲した場所のマッピング情報が添えられている。
単なる物ではなく、一つの命が生きた証を人々の記憶に残し、それが未来へとつながっていったら。こうした思いを伝えることは、日々、命の現場に身を置くものとしての使命だと長谷さんは考えている。
「先日、息子のランドセルをつくりました。シカ撃ちから一緒に行って、仕留めたシカに手を合わせ『ありがとう、いただきます』と息子が言いました。目の前にあるものの背景にはたくさんの命や大いなるつながりがあることに、少しずつ想像が働いてほしいなと思っています」(長谷さん)
長谷さんは現在、3つの事業を、それぞれ屋号をつけて運営している。大工部門が「木耕」、革製品販売部門が「EZO LEATHER WORKS」、シカ肉の販売部門が「鹿肉屋」。
生計の内訳は、エゾシカ関連の事業とタイニーハウスビルダーとしての事業で半々ほどだという。ちなみに狩猟については、有害鳥獣駆除期(4月1日~10月23日)に限り、1頭捕獲につき1万9000円が支払われるという(自治体により期間・金額ともに変わる)。
そのどれにも濃くて深いストーリーがあって、一人の人間がやっているのかと思うと驚きを隠せない。
特に大工とシカ関連事業は、それぞれ独立した活動のように見えるが、「すべてはつながっている」と長谷さんは感じている。
狩猟を通じて、自然の循環の中に自分の生活があるという実感が高まり、また大工仕事も、木材を使うという自然の恩恵の中で成立している。それは自給自足に興味を抱き沖縄へと向かったころから変わらぬ軸といえるのかもしれない。
職業や業種の枠を超えた活動は、これからさらに有機的につながっていくのだろう。
自然とともにある新しい暮らしを切り開く挑戦は続いていく。