24歳のとき祖母の跡を継ぎ、「トダビューハイツ」の大家に
大学生のころに母を亡くし、祖母と2人暮らしだった戸田江美さんが、「トダビューハイツ」の運営を祖母から引き継いだのは6年前、24歳の時だ。
「当時、周囲にマンションが増え、だんだん空き室が目立つようになったんです。もろもろトラブルがあったこともあり、祖母は元気をなくしていきました。もっと祖母のそばにいようと、多忙だった会社を辞め、転職を考えました。そんなとき、フリーのデザイナーとして単発の仕事を受けるようになり、フリーランスのデザイナーとして在宅で仕事をするなら、大家業も兼業できるのではと思ったんです。もちろん素人なので祖母の助けをもらいながら。“これはどうするの”“誰にお願いすればいいの?”と頼りにすることで、祖母も元気になってきました」
また、美大を出てデザイナーとして働いてきた自分だからこそのスキルを活かした「デザイン×不動産」の掛け合わせも面白そうだとも感じていた。最初に取り掛かったのが、物件のサイトづくり。「築年数の古さ」がネックになり集客できないなら、自分でやってみようと思ったのだ。
現在のトダビューハイツのサイトからも、その工夫が伝わってくる。
トダビューハイツを「築40年のおっちゃん物件」と擬人化しつつ、街の様子もレポート。
築年数の古さを逆手にとって「DIY可能」も打ち出した。壁棚の造作や壁の塗装など、内容や箇所を事前に相談しておけば、原状回復義務はないというもの。
さらに、また次の入居者のためにリフォームするならと、「ふすま紙とトイレの床を無料でリフォームサービス」を実施。その相談もフォトショップを使って提案できるのもデザイナー大家ならではだ。
「顔の見える」大家女子として、自ら広報活動。それが功を奏した
とはいえ、順調だったわけではない。当初は12部屋のうち3室が空室。サイトから見学を申し込む人は若い人が多いが、古さや設備など、いわゆるスペックで評価されがちなことがネックになり、なかなか契約に至らなかったのだ。
そんななか、「20代女子の大家さん」という目新しさから、Webサイト「物件ファン」に取り上げられた。そのサイトから内見メールがいくつも届いた。大家である戸田さんが自ら案内をする。街や物件に愛着を持つ「顔の見える」大家――。特に意識したわけではなく、自分ができることをしていたら、そうなっていた。
入居者に聞いた「トダビューハイツの魅力とは?」
サイトを通して、新たな入居者となってくれた1人が、福島県でコミュニティ支援の仕事をしていた安谷屋貴子さんだ。
「もう帰って寝るだけの1人暮らしは嫌だなと思ったんです。そんなとき、大家さんに直接内覧を申し込めるこの物件に、ピンとくるものがありました。江美さんには、入居前にふすま紙とトイレの床を何にするか一緒に選んでもらったり、街案内をしてもらったり、まったく地縁のない私には、ありがたかったんです」(安谷屋さん)
とはいえ、入居後半年間は最低限の連絡事項のやり取りで、頻繁なお付き合いがあったわけではなかった。そのあたりのことを戸田さんに質問してみた。
「私、大家業をしているので勘違いされがちなのですが、人見知りなんですよ。安谷屋さんが入居したころはまだ入居者の方との距離感を探っていたところでもありました。また、シェアハウスではないので、ほどよい距離感は必要だなと思っているんです」
入居1年後に、安谷屋さんは戸田さんの地元の知り合いとの花見に参加。顔見知りができたことで、その後の街歩きやワークショップなどのイベントにも参加しやすくなり、自然と安谷屋さんの尾久コミュニティの輪は広がった。
「子どもがいたら別でしょうけど、地縁のない独身の社会人にとって地元に知り合いをつくるってなかなかハードルが高いもの。でも大家の江美さんを通じて、人とまちと少しずつ知り合える実感がありました。特にコロナ禍はそれを実感しましたね。買い物途中に知り合いと立ち話をしたり、江美さんと偶然会って一緒にお弁当を買いに行ったり。知り会いがいない街で、一人暮らしで在宅ワークになっていたら、誰とも会話しないままだったかも」(安谷屋さん)
また戸田さんのほうも、社交的な安谷屋さんというサポーターを得たことで、新しい入居者の方とのウェルカムごはん会なども企画し、ゆるやかにつながれるように。
「いきなり大家とサシでごはん……ちょっと抵抗感あるでしょう。でも入居者の安谷屋さんがいてくれたら、誘いやすい。入居者の数人で韓流ドラマ『愛の不時着』を観たこともありました」(戸田さん)
その後、入居者でもある落語家さんによる落語会も開催。昔から暮らしている入居者と新しい入居者が自然と知り合う、またとない機会になった。
新たなプロジェクト始動。その名も「想像建築」
そして、このトダビューハイツとは別に祖母が所有し、長く借地として貸し出していた荒川区町屋の土地が、住人が退去して更地になって戻ってきたことを契機に、新たな活用法を考えることに。
そこに何を建てようか想像することから始めようというのが、「想像建築」プロジェクト。
「売却したり、業者さんに丸投げして賃貸マンションを建てれば簡単だって分かっているんですけど、それは祖母が大切にしてきた地域との関わりを絶つような感じがして、違うかなと。もっと街に愛着が持てるような場所にしたかったんです」
そこで戸田さんがとった方法は「すぐに住宅を建てない」方法だ。
「荒川区が古い建物を取り壊し、更地にして空き地を保全している間は固定資産税を安くする制度があったんです。だったらまず空き地であれこれ利用しているうちに、方向性が出てくるかなと考えたんです」
例えば、屋台村は保健所からのNGが出て実現できなかったが、マルシェ、街歩き、トークイベントを開催し、この場所に興味を持ってもらえるような仕掛けだ。
そのうち、荒川区役所に勤める人、荒川好きのご夫妻、荒川区に住みたい区外の人、ご近所の人など、自然につながりが生まれた。
「そうしているうちに、やっぱり売るのはナシだなと実感。街を愛してくれる人が増えてくれる住まいにしたい。よし、賃貸住宅を建てようと思うようになりました」
さらにワークショップを行い、地元住民やこの土地に興味のある未来の住人さんたちにアイデアをプレゼンし、方向性は間違えていないかを探った。
その結果、「屋上菜園」と「カフェ」を持つ賃貸住宅を新築することに。コンセプトは“この街に長く住みたくなる賃貸マンション”だ。
会員制の「屋上菜園」は地域住民も登録可能。1階に「カフェ」を設けることで、地域に開かれた住まいを目指している。
なかでもキーポイントとなるカフェのオーナーは、なんと戸田さんの大学時代の同級生の竹前さん。同じ荒川区に生まれ育ち、「いずれお店を持ちたい」と喫茶店で働いていた。物件が建つエリアは周囲に飲食店が少ないため、地域住民度の期待は大きい。
「荒川区のような下町の飲食店のオーナーって、とにかく人柄がすごく大事なんですよ。老若男女と仲良くできて、程よい距離感が保てる人。単にテナントとして貸すのではなく、人柄もよく分かっていて信頼している彼女にお願いすることで、暮らす人、地域の人から愛される、そんな気持ちのいい物件を目指したいんです」(戸田さん)
「大家さん」は大好きな街に人を呼び込むシゴト
戸田さんのこうした活動のモチベーションは、子どものころの記憶とも紐づいている。
「トダビューハイツができた当初から40年以上住んでいるご夫婦もいて、“江美ちゃん、すっかり大きくなって”と毎回言われる(笑)。ほぼ親戚のような存在ですよね」
戸田さんの好きな落語の世界では、「大家と言えば親も同然、店子(たなこ)と言えば子も同然」が決まりセリフで、大家は困ったことがあれば顔を出してくる中心的存在だ。
「祖母もそうでしたね。大変だけど面白いですよ。この前、テレビが映らなくなったって、1階の外で入居者さんと話していたら、他の方も上のベランダから、”ウチも映らないよ“って顔だしてきて(笑)。 “どーしても日本シリーズが観たいんだ”っていう入居者さんがいて、慌てて近所の電気屋さんに電話したら、“気持ちが分かる、大変だ”ってすぐ自転車でやって来てくれたんです。街を歩いていると、誰かから、”おかえり”って言われて、”ただいま”って答えるし(笑)。地図を見ながら歩いていたトダビューハイツに遊びに来たご夫妻が、自転車で通りかかったおじさんに声をかけられて美味しい中華屋さんを教えてもらったって言っていました(笑)」
そんな下町らしい距離感の住まいに、付加価値を感じて入居を決めてくれる人は多い。
築年数や設備などのネット検索でははじかれてしまうかもしれない物件でも、そこに大きな愛がある。
「ちょっと窮屈に感じることはあっても、街全体が自分のホームタウン。そんな大好きな街に新たに人を呼びこめる”大家”という仕事はとっても面白いと思います」