たくさんのスモールビジネスに支えられた魅力的な町をつくる
「復興拠点の計画が形としてできたことで、今後事業や活動が加速すると思うので、期待と責任が入り混じった気持ちです」と話す、和田智行さん。大学進学で上京し、卒業後はITベンチャー2社を起業、2005年に故郷の南相馬市小高区にUターンして仕事を続けた。
東日本大震災後、小高区の住民1万2842人全員が避難指示の対象となり、5年以上町への立ち入りを制限された。和田さんの自宅も警戒区域に指定され、会津若松市に避難し、起業や創業を志す人たちを支援するインキュベーションセンターに勤めた。そして、避難指示が解除される前の小高区に入り、食堂や仮設スーパー、ガラスアクセサリー工房を経営した。
2016年7月に避難指示が解除され2年半以上。病院や学校などが再開し、小高交流センターがオープンするなど、徐々に生活環境は整いつつあるものの、帰還者は約3000人で、住民のほとんどが65歳以上。人口の回復、若い人の帰還、人材育成など、課題は多い。
「10年、20年後、この町はどうなるのか、多くの人が漠然とした不安をかかえています。ここで事業を起こし、働く場所や住民の暮らしを支えるサービス、失われたコミュニティをつくることで、地域が消滅せず存続していく可能性を示していくことができたら」と和田さんは、南相馬市出身の起業家2人に声をかけ、日本財団の支援金やクラウドファンディングなど、活動を応援する方々の支援を受けて「小高パイオニアヴィレッジプロジェクト」をスタートさせた。
プロジェクトが目指すのは、1000人を雇用する1社に支えられる社会ではなく、10人を雇用する多様な100社が躍動する社会。「一つの大企業に支えられた町は、事業の継続が困難になったとき撤退して町は焼け野原になってしまいます。たくさんのスモールビジネスがあれば、一気に全滅することはなく、多様な商品や人がいて魅力的な町になる。そういう風土が出来上がれば、新しい世代も次々出てくるのではないかと思います」
起業やものづくりをする人が励まし合い成長していくコミュニティ
約10カ月の工期を経て1月に完成した「小高パイオニアヴィレッジ」は、延べ床面積約280平米、鉄骨造りの2階建て。建築費用は日本財団の「東日本大震災復興支援 New Day 基金」の支援金をはじめ、自己資金、クラウドファンディングを活用した。内装はラワン合板をふんだんに使った最低限のシンプルな仕上げで、今後のニーズ、周囲の状況にあわせて柔軟に変えていく予定だという。
中心施設は、ひな段状で、吹抜けで2階とオープンにつながるコワーキングスペース。ここでさまざまな事業、業種の方々が自由に働き、アイデアを練る。また最大50人程度のイベントにも対応可能だ。「起業は孤独な闘いで、起業したい気持ちがあっても諦める人も多いと思いますが、隣に創業を目指す仲間がいれば、励まし合い、化学反応が生まれます」と和田さん。ここは、そんなコミュニティが活性化する場であり “ヴィレッジ”の広場のような存在だ。
2階にあるゲストハウスは、長期滞在する人、出張などでコワーキングスペースを活用したい人のための簡易的な宿泊施設で、5部屋用意されている。
1階には、ものづくりを生業とする人たちの共同作業場「メイカーズルーム」を設置。現在は老舗ガラスメーカーHARIOのガラスアクセサリーブランドの生産拠点として、2015年に設立された「HARIOランプワークファクトリー小高」が入所。今後はワークショップを行い、職人の発掘・育成を行う予定だ。
震災の避難生活を経験して気づいた大切なものと新たな価値観
完成した「小高パイオニアヴィレッジ」に対する地域の反応はどうか。「20~40代の人がほとんど住んでいないので、若い人がいるだけで住民は歓迎してくれるし、喜んでくれているのを感じています」と和田さん。「いつから使えますか?行ってみたい」という利用の問い合わせは全国各地からあり、コワーキングスペースを運営する人から和田さんあてに「一緒に何かやりましょう」という声がけも多いという。
すでに、地元の農家と提携するクラフトビールづくりのプロジェクト、手づくりDJイベント、ガラスアクセサリーの新ブランドの発表といった企画も目白押し。10人の起業家を誘致し、サーフカルチャーや馬事文化など地域資源を活用した事業を起こす「Next Commons Lab南相馬」など、すでに生まれている起業家コミュニティの拠点にもなる。3月10日にグランドオープン、本格的にスタートする。
利用者は、働く場所にこだわらない、自営業のフリーランスやクリエイターを想定している。「旧避難指示区域に住むことに抵抗がある人、大きなスーパーやアメニティ施設がない町に暮らせない人は多いと思います。一方では、むしろ、こういう場所に興味があり、面白いと感じる感性の持ち主もいるはず。やりたいことがある人、今の社会を生きづらいと感じている人がここに滞在して、一緒にさまざまな活動や事業を起こしたりして、結果この町に住むようになれば」と和田さんは期待する。
ITベンチャー企業の役員として働いていた当時は、稼ぐために仕事をしていたという和田さん。「震災が起きて避難生活を余儀なくされ、お金があっても食べ物もガソリンも手に入らず、1歳と3歳だった私の子どもにもストレスを与えるのではないかと心配になりました。けれども、いろいろな人に助けられて生き延びることができて、自分を支える柱は収入ではなく、人との関係性をたくさんもつことだと感じ、価値観が変わりました」と話す。
今後については、「課題は山積みですが、見方を変えれば、ゼロベースで自由なチャレンジができるのが魅力です。真っ白いキャンバスに自由な絵を描くように、自分たち好みの町をつくっていける。将来、小高パイオニアヴィレッジで事業を始めた人が成長して、事業が拡大して施設が狭くなったら、近くの空き地を借りて新しく事業を始める。そうしてコミュニティが広がり、“ヴィレッジ”の“村人”がどんどん増えればと思います」と話す和田さんの表情から静かな自信が伝わってきた。
つくられた価値観のなかで暮らし、欲しいものが簡単に手に入る今。「小高パイオニアヴィレッジ」は、必要最小限のものしかないが、明るい笑顔、人と人の信頼関係、希望が感じられた。一時、無人、無になった町はパイオニアである若手起業家たちの手で、新しい価値観、新しい社会が生まれようとしている。また5年後、10年後の小高区を見てみたいと思わずにはいられない。
和田智行
福島県南相馬市小高区(旧小高町)生まれ。2005年より故郷の南相馬市で東京のITベンチャーの役員として働く。東日本大震災後、避難生活を経て2014年に避難区域初のコワーキングスペース事業「小高ワーカーズベース」を開始。一般社団法人パイオニズム代表理事として住民帰還の呼び水となる事業の創出に取り組む。
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