地下のコミュニティスペース「キチカ」がマルシェや古本市の場に
新宿駅から約30分、小田急小田原線と江ノ島線の分岐で、交通の要衝(ようしょう)の相模大野駅。駅周辺には商業施設が集まり、現在進行形で大規模マンションが建設されている人気の街です。この相模大野駅から徒歩2分、公園に隣接した「パークハイム渋谷」の地下にあるのが、コミュニティスペース「kichika(キチカ)」。週末に古本市やマルシェなどが開催されていたりで、その際は多くの人が足を留めて集まり、会話や交流が生まれています。
駅前のいわば一等地をひらき、街にあたたかなにぎわいをもたらしているのは、この物件を管理する(有)ミフミの渋谷洋平さん、純平さん兄弟。ともに青木純さんが2016年に開校させた「大家の学校」の一期生です。この賃貸物件のほかに、駐車場、都市農地と遊休不動産の活用実験「畑と倉庫と古い家」などを手掛けています。では、どうして管理している賃貸物件の地下にコミュニティスペースをつくったのか、まずはそのきっかけから聞いていきましょう。
■関連記事:
・賃貸住宅に革命起こした「青豆ハウス」、9年でどう育った? 居室を街に開く決断した大家さん・住民たちの想い 東京都練馬区
・13代続く湘南の地主・石井さん、地域の生態系や風景まもる賃貸住宅で”100年後の辻堂の風景”を住まい手とつくる 「ちっちゃい辻堂」神奈川県藤沢市
親とともに経営する大家業。青木純さんがこぼした「人がいないね」に衝撃を受ける
「兄弟ともに別の会社で仕事をしていましたが、2012年に私が、2013年に弟が、ミフミに参画しました。大家業や賃貸業はこれからどうすべきか試行錯誤していたとき、賃貸のイベントで出会ったのが青木純さんでした。全体的に真面目な雰囲気だったのに、青木さんがいる一角だけくだけた雰囲気で、服装もカジュアルで、すごく印象に残っています。そのとき、勇気を振り絞って話しかけたところ、初対面にもかかわらず気さくにお話ししてくださいました。
その後、青木純さんが「大家の学校」という学びの場を始めると知り、さっそく一期生として参加させてもらいました。
その際に、思い切って自分たちの物件のサイトを見てもらったら、『人が居ないね』とすぐにひと言、返されて。……今思うと、デザイン性を意識するというか、やっぱりカッコつけていたんでしょうね(笑)」と振り返る洋平さん。
大家業とは何か、地域や次世代の景観、子どもたちに向け自分たちは何ができるのか、青木純さんのアドバイスを受けつつ、兄弟で模索が始まります。
「まず、手掛けたのが、小学校に隣接している自分たちが生まれ育った家。『畑と倉庫と古い家』と名付けて、ちょっとだけ地域にひらくこと。ここは、周囲に畑、倉庫があり、開発と変化が著しい相模原の原風景をかろうじてとどめています。草木生い茂って畑があって、道端でちょっとおしゃべりをして……。何気ない風景ですが、『すごくいいよね』と青木さんにも言ってもらって、とても貴重な場であることに気づきました。次世代に残していくにはどうしたらいいかと思い、周囲になじむように畑を軸に耕していったんです」(純平さん)
まず始めたのが、私有地を示す境界物・看板の撤去です。ただ、母屋ではご両親が今も暮らしているので、誰も彼もが入ってきていいわけではありません。
「なので、プランターを置いたり、畑の畝のデザインで、ここからは何となく入らないでね、というあいまいな線をつくることで、ゆるやかな区切りを設けています。あくまでも、畑をとおして、周囲や住民さんとゆる~くつながる。ときどき集まり、食べたりできたらいいな、という場にしていければ」(純平さん)
つくり込みすぎずに余白をつくることで、愛犬家や子どもたちの憩いの場になるように。するとこれが人と人をつなげ、思わぬ出会いにつながることもありました。
「今、うちにはウサギがいるんですが、このコはもともと隣の小学校で飼育されていたんです。学校で、小屋を取り壊すことになってうちで引き取ることに。そのため、小学校の子どもたちがウサギに会いに来てくれることも多いんです。また、私の同級生が親になり、子どもといっしょに会いに来てくれることもありました」(純平さん)
母屋のワークショップから「さがみはら100人カイギ」へ。つながりの輪がさらに広がる
次に行ったのが、マンション一室のリノベーションです。プロの力を借りつつ、パークハイム渋谷の住民、地域の人とでワークショップでリノベーションしました。人が集まるのだろうかと心配していたものの、予想以上に集まったそう。こうして畑の活動もしながらワークショップを繰り返していると、思いがけないところから声がかかりました。
「地元の相模女子大学教授から『100人カイギ』というのがあるから、相模原でもやってみませんか?と声をかけてもらったんです。どうしようかなと思ったんですが、地元のつながりがほしいと、主催者として関わることになったんです」(洋平さん)
「100人カイギ」とは、「毎回、地元で面白い活動をしている5名のゲストのプレゼンを聞き、ゲストが100名に達したら解散する」というコミュニティ活動のこと。今でこそ日本各地で展開されていますが、そのころはまだ、2箇所目の渋谷区で始まったばかりでした。
「2017年だったかな、相模原のシビックプライドが多くの項目で最下位になっていたことを知りました。相模原って広くて、なかなか街の歴史や人のことを知らなかったり、つながりが限定的だったり。自分たちはもちろん、住んでいる人が愛着を持つにはどうしたらいいのか、というのが始まりです。運営は大変でしたが、ここでかなり知り合いが増えました。ただ、もっと人が集まれる場所があればいいのに……という思いが芽生えてきたんです」(洋平さん)
渋谷家は従来からある大地主ではなく、祖父が曳家業(※)をしていて、少しずつ土地や建物を買い増していたのがはじまりだそう。渋谷兄弟の父の代になり曳家業はたたみ、不動産賃貸業へと形を変えましたが、兄弟ともに地元・相模原への愛着があり、なにか地元のためにしたい、という思いがあったそう。
※建築業の一種。建物を解体せずにそのまま移動する仕事
「2019年の6月末で、『パークハイム渋谷』の地下に入っていた飲食店が撤退することになったんです。かなり迷ったんですが、『地域に開くスペースがほしいよね』『人が集まれ気軽にチャレンジできる場があれば!!』『100人カイギで仲良くなったメンバーと、これからもつながっていきたい。それには場所が必要だよね』という結論にいたりました」(純平さん)
ここまで決めた二人は、パークハイム渋谷の居住スペースと同様、地下スペースもワークショップでリノベーションを実施。ついに「キチカ」が誕生したのです。
コロナ禍ということもあり、なかなか人が集めにくい時期もありましたが、大きな達成感はあったそう。
「とにかく場が持てたことで広がりができたのがうれしかったですね。自分たちだけじゃなくて、いろんな人がいろんな使い方をしてくださる。するとそのことで縁が広がっていく。昔、こうしたらいいねという話をしていたのがこの2~3年でわっと形になっていった感じ。それはすごく感じます」(洋平さん)
穏やかな雰囲気の二人、急がず焦らず、慌てずだからこそ、周囲が助けたくなる、一緒に何かをしたくなるのかもしれません。こうしてできたコミュニティスペース「キチカ」は、現在、「パークハイム渋谷」の入居者が主催するボードゲームのイベント会場になったり、マルシェになったり、地域の活動場所として活用されています。
英会話学校からマルシェまで。相模原のタテとヨコのつながりをつくる
では、「パークハイム渋谷」の入居者は、どのように感じているのでしょうか。現在、「パークハイム渋谷」で暮らし、ワークショップを開催していることもあるYさんご夫妻、同物件で英会話教室を開いているご夫妻にインタビューしてみました。
まずは、ワークショップを開催したり、畑のお手入れにもよく参加するというご夫妻に話を聞いてみました。
「二人で暮らすための新しい住まいを探していたところ、渋谷兄弟に出会いました。私が不動産が好きで、リノベしたお部屋とキチカの構想を聞いて『おもしろそう!』と感じたんです。利便性が高い立地とほどよい住民同士の交流が心地よく、入居後も楽しく過ごしています。今はキチカで、『さがみはら一箱古本市』を開いています。一箱古本市とは、箱1つ程度の古本を持ち寄り、交流しながら販売するというもの。コーヒースタンドも出店するほか、街歩きのイベントも行っています。地域に輪が広がっていく感じがよいですね」(妻)
「自分は東海大学出身で、相模大野の雰囲気の良さは以前から印象にあり、こちらに引越してきました。また、地域のコミュニティ活動にも興味があって、キチカでボードゲームのイベントを実施したり、『畑と倉庫と古い家』の畑のお手入れにも時々携わらせていただいています。
そんな感じで渋谷兄弟との関わり方も程よい距離感となり、ますます相模大野が気に入りました。それが私たち夫婦の今後の人生を変えるきっかけとなりまして、このたび相模大野に家を買うことにもなりました。ですので残念ですが部屋を退去することも決まっています。でも、これからも渋谷兄弟との関係やアクティビティは、ここ相模大野でずっと続いていくと思っています」(夫)
もう一組、一部屋でTSE ACADEMYを営むマーフィートラビスさん、美紀さんご夫妻にも話を聞いてみました。
「相模大野駅近くのレンタルスペースで英会話教室をしていたのですが、突然、閉鎖することになり、教室の場所を探していたんです。もともと渋谷兄弟のお父様を存じ上げていたので、『パークハイム渋谷』が居住スペースというのはわかっていたんですが、ダメ元でお願いし、1部屋お借りして、今、教室を開いています。英会話の生徒さんには地元の未就学のお子さんから年配の方もいらっしゃいます。
実は『キチカ』でマルシェも開いているんです。幼稚園のバザーをした時にすごく楽しくて、『キチカ』でもマルシェをやろうと思ったんです。2023年夏と2024年春に開催しました。子どもたちがつくったお店だけでなく、ケータリングカーを誘致したり、ワークショップを実施したり。びっくりするほど人が集まってくれて、こんなにもワクワクできる場所ってほかにないって感動しています」と美紀さんは話します。
賃貸や大家業についてアドバイスをしていた青木純さんはこう話します。
「兄弟二人が自分たちのペースで、少しずつ賃貸を変化させたこと、入居者さんたちの楽しそうな様子を見ていてとてもあたたかな気分になりました。これは予言といってもいいんですが、次は自分たちの賃貸物件にとどまらず、パブリック、外の場所をもっと面白くしていくんじゃないかな、そう思っています」
渋谷兄弟はもともと、「新しい大家業のスタイルを確立する」というような大望を抱くタイプではないと言います。「自分たちが大家として、住民さんと心地よく暮らしていけるにはどうしたらいいか」「住んでいる相模原を好きになるにはどうしたらいいか」を考え、ちょっとずつ、ちょっとずつ試みを行い続けた結果、自分たちも住民たちも、心地よい今があります。まるで渋谷家が代々営んできた「曳家」のように、「ゆっくりと、力強く、着実に」が二人のDNAに刻まれているからかもしれません。