「柳ヶ瀬ブルース」で全国的にブレイクするも、時代の流れで衰退
名鉄岐阜駅から徒歩10分ほどで到着する「柳ヶ瀬商店街」は、岐阜県岐阜市にある。天候を気にせずぶらぶらできる昭和生まれのアーケード街があり、本通りの「フローレンス柳ケ瀬」の東西の入口では、頭の上から5体のイタリア彫刻が来客を見守る。これらは、岐阜市と姉妹都市であるイタリア・フィレンツェにちなんだものだそうで、1991(平成3)年のアーケード改装時に設置されたものだそうだ。
柳ヶ瀬エリア一帯は、明治30年ごろから盛り場としてにぎわった。大正時代になると、博覧会ブームで「内国勧業博覧会」などが柳ヶ瀬で開催され、商業の街として大きく発展。呉服店が多数開業してトレンドの地となり、界隈をぶらつく「柳ぶら」という言葉も生まれたという。
戦後、空襲によって焼け野原になるものの、バラック小屋での劇場興行がいち早く再開したことで、娯楽の街として再び繁栄。1960(昭和35)年には県下初の全天候型アーケードが完成し、1966(昭和41)年には美川憲一が歌う歌謡曲「柳ヶ瀬ブルース」が全国的にヒットした。「チャームタマコシ(後のファッションビル『岐阜センサ』)や「岐阜タマコシ(後のファッションビル『岐阜センサPartⅡ』)」、「岐阜近鉄百貨店」「岐阜高島屋(2024年7月末で閉店の予定)」などが建ち、このころには一大繁華街として全国にその名を轟かせていた。
時代は平成に入り、人々の移動手段が公共交通から自動車へ移ると、郊外型モールに客層が流れ、大型商業施設が相次いで撤退。「岐阜高島屋」以外のビルは次々に閉店した。それらの跡地は長年放置され、“シャッター商店街”といわれるようになっていった。
柳ヶ瀬で商売をしていた人たちが自発的にイベントを企画
そんな柳ヶ瀬商店街だが、令和の現在、「サンデービルヂングマーケット実行委員会」としてイベントを企画・運営する組織も立ち上がり、新たな展開を見せている。コロナ禍を経て、出店は140店舗。カフェやギャラリー、アパレルショップなど、若い人たちを取り込んでいる。「柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社」のクリエイティブディレクターである末永三樹さんと、同社の事務局の福富梢さんにお話を聞いた。
「『柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社』では、柳ヶ瀬を愛するメンバーが、新たな時代を生きる商店街を目指して、ここにしかないモノや空間の創造にチャレンジしています。具体的には、マーケットの企画・運営のほかに『ロイヤル40』や『マルイチビル』などの遊休不動産の再生・運営・管理、公共空間の利活用、柳ヶ瀬のまちの情報発信などを行なっています」(福富さん)
柳ヶ瀬の街の20年ほどの変遷を目にし、まちづくりに関わってきた末永さんは次のように話す。
「柳ヶ瀬商店街は、今から10年から12年くらい前がどん底でした。全国の多くの商店街と同じように寂れ、ほとんどの店舗のシャッターが閉まった状態。車で気軽に行ける距離に『マーサ』や『モレラ』『イオンモール』といった大型商業施設ができたことや、商店街に関わる人々が高齢化して、新しい人を取り込むことができていないことも要因でした。
もともとこの地域に長く住んでいた人達もいましたが、戦後の復興で柳ヶ瀬が商業地になったことで、敷地をテナントとして人に貸したケースが多く、そこが抜けると次のお店が入らないのです。かつて景気がいい時代があり、当時の地価は今の30倍で、それが急降下をしたものですから、貸し手と借主側の家賃や広さのマッチングがうまくいかず、そのままになっていたのです」
2人が在籍する、「柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社」の前身としてそれまで存在していたのが、「サンデービルヂングマーケット実行委員会」だ。この実行委員会発足のきっかけは、柳ヶ瀬の街で商売をしていた人々が、「街に新しいお客さんを呼び込もう!」と考えてイベントを始めたことだった。
2010年のオープン後間もなく柳ヶ瀬を代表する和菓子店となった「ツバメヤ」や、古書店「徒然舎」、雑貨店店主など、それまでローカルフリーペーパーを発行していた仲間達が、「ハロー!やながせ」というイベントを企画。街に若者を呼び込み、柳ヶ瀬の魅力を知ってもらおうと、年1回、商店街のアーケード下や空き店舗などを使って、古本市やワークショップ、マルシェなどを開催した。1日だけの開催でなく、1週間、1カ月と続く長期のイベントを企画したこともあった。
末永さんは振り返る。
「イベントには集客があり、それなりに手応えがありました。でもみんな本業もあるので大変だったし、継続的にお客さんが来るわけでもない。次第に『誰が何のためにやっているんだっけ?』と思うようになり、負担を感じて、『1回、おこう』という話しになったんです」。
ちなみに「おく」とは、岐阜の方言で「止める」という意味だ。
アーケードの下、商店街に出店できるイベントを立ち上げる
「イベントでは継続するお客さんをつくることはできないとわかったけど、何かしないとヤバい。柳ヶ瀬商店街がどうにもならなくなる前に、何かできないかな?と模索したのが2012年ごろでした」と末永さん。
末永さんの本業は設計事務所を営む建築士なので、店舗再生を手掛けたり、リノベーションしたビルに店舗を招致したりという経験もあった。それでも、商店街再生への案は浮かばなかった。
「商店街再生に関して、すでにそのころ、全国的な動きが始まっていました。参考にしたいイベントの一つに、兵庫県神戸市の公園で行われる『湊川公園手しごと市』があり、そこに視察に行きました。すると、話を聞いた街の再生の専門家に言われたんです。『かっこいい場所やお店をつくれば、人が自然とやってくるような時代ではない。建物のことを考えるのは最後で、まずは街の中で、お客さんがいる場所にお店を出すことを考えないと』って。そこで、私たちには、アーケードがかかっていて雨風が凌げて、人が行き交う場所があるじゃないかと気がつき、もとからいる商店街の人が出店したり、新規参入した人が商店街の中にお店を出したりできるようなイベントをつくろうと考えました」
当時、東海エリアで毎月28日に定期開催していた愛知県名古屋市の「東別院てづくり朝市」を参考に、月1回決まった日に開催して、お客さんに覚えてもらう仕組みをつくることにした。これが「サンデービルヂングマーケット」の始まりだった。
通常、商店街でイベントを行うとなると多くの配慮が必要だが、柳ヶ瀬の商店主たちは当初から歓迎ムードだったという。「岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会」と連携して運営し、準備が整った。1年目はサンデービルヂングマーケット実行委員会の主導で開催した。
2014年にスタートして、現在は毎月第3日曜日と偶数月の第1日曜日に定期開催しているイベント「サンデービルヂングマーケット」。この日は柳ヶ瀬の街全体に、飲食や物販などの100を超える店舗が並ぶ。「アート&クラフト」「ブック&アンティーク」「スナック&スイーツ」「野菜」「カフェ」「ディッシュ」「キッチンカー」と、カテゴリーもさまざまだ。開催の1カ月前にはホームページで出店者を発表して、来場者の期待感を膨らませている。
「月1回のイベントでも、5000人の来客で1軒が1日30万円売り上げれば、商店主の生計は成り立ちます。ここで新たに出店してみたいという人なら、商店街の空き店舗で、小さくビジネスを始められるのもいいところ。『ハロー!やながせ』では、若い人が柳ヶ瀬でやりたいことを試しました。一方『サンビル(サンデービルヂングマーケットの略、以下同)』では、商店街に新しいお店を呼んで、新しいお客さんをつくることを目標にしたところが違いだと思います」
ちなみに、出店料は通路のブロック6×6マス分の区画で4000円とリーズナブル。
新規出店だけでなく、商店街の既存店が店頭の区画に露店を出したり、この日のために新商品を考案して販売したりするケースもあるという。例えば、オーガニック系雑貨店が、「サンビル」で新たにキャンドル販売を始めた事例などがあった。また、商店主が店の前の区画を新規店に貸しつつ、そのブースの横でセットで販売できるような商品を並べたこともある。区画の貸し手側と借り手側の距離感が近く、相乗効果を生み出している。
ほかにも、同社主催のイベントとしては、毎月第4日曜日に商店街の古道具店や輸入雑貨を取り扱うアンティークショップが出店する「GIFU ANTIQUE ARCADE」を開催。こちらは、柳ヶ瀬商店街の古道具店「古道具mokku mokku」の店主がオーガナイザーとなる蚤の市で、県内外のアンティーク好きが集まる。柳ヶ瀬のレトロでミックスされた雰囲気と合わさって、「サンビル」とは少し異なる客層が目当てにする人気イベントとなっている。
さらに、11月19日(日)から12月31日(日)にかけては、「柳ケ瀬日常ニナーレ」という、地域のあちこちで体験プログラムやアクティビティに参加できるイベントも開催される。福富さんによると、「商店街のお店のオーナーさんが、自分たちの商品や技術を使って、訪れたお客さんや新たな出店者さんと交流できるようなプログラムを企画している最中です」とのこと。
柳ヶ瀬エリアの価値を高めることで、次の世代につなぐ
「新しく何かを始めようという人達が街に集まってくると、街の雰囲気が明るくなります。『柳ヶ瀬で、ずっとイベントを続けたいよね』と、みんなが商店街の未来を語れるようになりました」と末永さん。
柳ヶ瀬の魅力を尋ねると、「世代ごとに惹かれるものがあると思います。30代後半から40代前半なら、かつては周辺に『岐阜パルコ』があったり『センサ』があったりして、親に連れられてきた特別な場所です。そんな柳ヶ瀬なのに、社会に出て一旦離れてから戻ったら、遊びに行く場所がなくなっていました。そして仕事で柳ヶ瀬と関わるようになり、街に出ていろいろな人と話すうちに、柳ヶ瀬の違った良さが見えてきて、また別の愛着が湧きました。今は、柳ヶ瀬に転がっているような地域資源を探して磨いて、光らせているところ。『どうにもならんな』と思われそうなコトやモノを、自分たちで面白くするのが面白いんですよね」と笑う末永さん。それはまるで、「長年かけてジーンズを履きこなしていくような感覚」だという。
一方で20代の福富さんは、「私は柳ヶ瀬が面白いと思って参画した世代なので。最近では、私たちのまちづくりを応援したいという商店主さんもいて、受け入れ態勢もあり、新しく出店する側の人も参入しやすいように思います。私と同年代でギャラリーを経営している知人も、商店街に馴染んで可愛がられています。商売っ気が多すぎない人でもやりくりしていけるような、優しい環境になっています」
末永さんは言う。
「今ではオーナー側の意識も変わりました。テナントの家賃は安くなり、『街も変わってきたし、誰かに貸して使ってもらった方がいい』という声も聞こえてきます。まちづくり会社として目指すところは、柳ヶ瀬エリアの価値が上がることです。商業地として、柳ヶ瀬があることで地価が上がるという状態は必要なこと。その土地を持っている人にメリットがある状況をつくることで、まちを次の世代に繋いでいくことができますから」
若手オーナーは再開発による活性化にも期待
柳ヶ瀬エリアは、南北に走る「長良橋通」や「神田町通」などと、東西に走る「柳ヶ瀬本通」「日ノ出町通」など、いくつかの通りが組み合わさって街が形成されている。「柳ヶ瀬本通商店街」のほか、「ヤナガセ銀天街」や「柳ヶ瀬劇場通北商店街」など、複数の商店街がアーケードでつながる。通りごとに少し雰囲気が違うので、食べ歩きやウインドーショッピングをしながら行き来するのも楽しい。
現在、岐阜高島屋南側は、「高島屋南地区第一種市街地再開発事業」により再開発が進む。
柳ヶ瀬商店街のほぼ中央にある「日ノ出町通」には映画館やカラオケが入った「CINEXビル」や「日ノ出町ど真ん中広場」があってにぎわっている。老舗の「ロイヤル劇場」も残っていて、現在は昭和の名作シネマを上映する映画館として活用されている。
この人気エリアで、コーヒースタンド「TIROL」や、ファッションのセレクトショップ「phenom」と「phenomerica」を経営している成田満弘さんに、柳ヶ瀬の印象を聞いてみた。
「もともと『サンビル』のイベントに遊びに来ていて、お店を始めるなら、ここにいるようなお客さんに来てほしいなとイメージができたことが、このエリアに出店したきっかけです。
今42歳の自分が18~19歳くらいのころ、セレクトショップへ服を買いに行く時は、名古屋ではなく岐阜に来ていました。岐阜駅周辺の玉宮エリアにショップがあって、人が集まっていたんです。当時、愛知に住んでいた人はそういう人が多いんじゃないかな。30代になってまた岐阜に遊びに来たら、以前通った服屋さんがなくなっていました。そこで、当初は思い出のある玉宮で出店しようかと考えましたが、現在は飲み屋さんが多く雰囲気が違うと思い、柳ヶ瀬もいいかなと思い至りました。
2019年にユニセックスブランド中心の『phenom』を出店し、ここでコーヒーが飲めたらいいなというお客さんの声を聞いて、2020年に『coffee stand TIROL』をつくりました。レディースへの要望も増えていたので、2022年に隣の一軒が空いたタイミングで、レディースのハイブランドを置く『phenomerica』をオープンしました。
柳ヶ瀬にはポテンシャルがあると思いますが、自分のショップも3年、4年経ったばかりで、まだまだ様子見です。でも、再開発には期待しています。ショップの目の前が広場になる予定なので人が集まりそうだとか、高島屋の南側にマンションが建って人が増えるとか……。今後の変化も楽しみにしています」
筆者が名古屋の情報誌の編集部で新人だったころ(22年前)、東海圏でファッションスナップの場所といえば、岐阜駅周辺は外せなかった。当時は週末になるとおしゃれな人が集まっていたのを覚えている。
今回、柳ヶ瀬に伺ったのは小学1年生の息子の夏休み期間。福富さんにお願いして、取材に息子も同行させていただいた。そこで、アーケード付きの歩行者天国である商店街は、親子連れにも安心して出かけられる場所だと改めて思った。新店だけでなくおすすめの老舗の話も聞き、どちらも行ってみたいと思う。
時代の流れの中、変化に対応してにぎわいをつくりだす柳ヶ瀬。応援の気持ちを込めて、またゆっくり遊びに行きたい。