手探りで始めた農業は、ご近所の人から教わった
現在山形市内に居住しながら、西川町にある畑や竹林、平屋の古民家を借りて通いで農業に勤しむ本坊さん。日本テレビのTV番組「人生が変わる1分間の深イイ話」では、本坊さんの暮らしぶりに密着するコーナーもあり、注目をされています。実際に目にしたことがある人もいるのでは?芸人仲間で仲良しの「麒麟」川島明さんも、本坊さんの山形暮らしについて、メディアでたびたび話しています。2022年4月には、山形暮らしのことを綴った『脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの』(大和書房)を上梓しました。
それにしても、芸人さんが農業? 一体どんな生活をしているのでしょうか。私たちは東京から飛行機で1時間、さらに車に乗り換えて1時間ほどかけて、西川町に到着しました。
広大な畑をせっせと行き来する本坊さん。「こんにちは」と近くに行くと、10月上旬のこの日は大根の葉の間引きや、里芋の収穫作業をしていました。
作付けをしている畑は約400平米ほどの広さ。ここでは現在里芋、大根のほか、玉ねぎやジャンボニンニクなど1シーズンで8種類近くの農産物を育てています。
「実は、里芋の収穫は作付けしてから初めての作業なんですよね、一体どうやるのかなあ」と笑いながら手探りの作業が続きます。
「農作物の育て方も、農機具を使うことも、ここにきて初めて知ったこと。何も知らないことばかりで、試行錯誤です。あまりに何もわからないから、ご近所の人たちや、地主であるシゲルさんから教えてもらいながら育ててきましたよ」(本坊さん)
本坊さんの農業の先生、地主のシゲルさんとの出会いは、2020年のコロナ禍、趣味である沖縄三線を通じてだったそう。
「それまでは少しずつメディアの仕事が増えていってたのが、コロナになって全てパー。アルバイトすらままならなくなったんですよ。そこで、以前から思っていた”何かやりたい、ここでしかできないことをしたい”を実行に移す時だと、農業を始めることに。そのタイミングでシゲルさんとSNSを通じて知り合い、空き家になっていた古民家と竹林、畑を月100円で借りられることになったんです」(本坊さん)
右も左もわからない状態で始まった山形暮らしですが、現在は毎日が大忙し。作った農作物を道の駅などで販売するほか、今年は近隣の食品会社から400本の大根の注文を受けたのだとか。「社長が、『本坊くんの作っている大根をうちで買わせてくれないか』って言ってくれて。大根を使って、漬物を作ってくれるんですって。ありがたいですよね。だから期待に応えられるようにしっかり作らないと、と思っているんです」(本坊さん)
農作物の生産や販売だけではありません。この日は取材の前に、西川町の名産品であるさるなし・こくわの商品PRショーを行っていたそう。農業を経験したことで、農産物のPRや商品開発にも携わることへと広がり、本気で農業と向き合っているそうです。
一方芸人としての仕事に始まり、東北地方でのメディア出演も増えているとのこと。現在テレビ6本、ラジオ2本へのレギュラー出演と2本の連載、そのほか講演活動にも勤しんでいます。「先日は小学校から講演依頼があったんですけど、テーマが『SDGs』で依頼をもらって。むずいテーマだなって思いながらも、17のテーマの中から農業とゲームで結びつけて話しました。こういう形で、芸人と農業が生きています」(本坊さん)
東京にいることが苦しくて、移住を決意
今でこそ多忙な毎日を送っている本坊さんですが、「それまで僕は20年間、今よりもずっと売れてなくて、月に5日も芸人の仕事があればいいほうでした」と話します。
「それ以外の時間は、日雇いの工事現場での仕事をしていたわけで。明日の予定さえよくわからない毎日だったんです。でも、おかげさまで今はやりたいこと、やらなくてはならないことが常にタスクとしてたまっている日々。そんな日々を走っているってことが嬉しいですね。忙しいことは、暇なことよりもストレスにならないです」(本坊さん)
会社からの指令で山形へ移住することに抵抗はなかったのでしょうか。
「そりゃあ、抵抗はありましたよ。2011年にも一度移住の話を持ちかけられたんですが、その時は断っています。だって僕らは芸人になりたくて吉本に入っているんであって、地方を目指したいわけではない。大都会のてっぺんで頑張りたいって思うわけです。その時は即答で断りました」(本坊さん)
その後東京で芸人活動を続けますが、次第に本坊さんは都会での暮らしに疲弊していったのだと振り返ります。
「とにかくバイト生活から脱したかった。ほとんどずっと工事現場で働いていて、『この生活は何の罰ゲーム?東京におる意味ってあるんか?』と思いながら過ごしていました。僕にとっての暗黒の8年間。仕事も辛かったけれど、それ以上に人や街の空気に酔ってしまい疲れていたんだと思います。年齢も30過ぎてて、住めるわけでもない大都会の真ん中へ、仕事のためだけに毎日電車に揺られて通う。しんどい以外の何ものでもなかった。そう思っている大人、他にもいるんちゃうかな。だから2回目の移住指令に応じたのは、正直なところ都会の苦しさから逃げたくてラクを選んだところもありました」(本坊さん)
移住をするからって、ずっと住むわけではない
移住してから初めのころは仕事を介した地元の人との付き合いが中心だった本坊さん。その後「芸人じゃない友人」である宅配便配達員・ジンくんとの出会いがきっかけで、仕事以外の地元の友達がたくさんできたといいます。
「芸人じゃない人たちの生活がとにかく新鮮でしたね。起きて布団を干して、洗濯をする。きちんと靴もそろえられていて、献立表とかが冷蔵庫に貼ってあるんですよ! 何もかもがまともな生活。ああ!こういう生活が普通の生活なんやって、40年近く生きてきて今さら知ったという。遅いんだけど(笑)。そのことがいちいち面白かったです」(本坊さん)
休みの日ともなれば友人たちと釣りへ行き、麻雀をし、食事を共にしては時には友人宅に寝泊まりするほど本坊さんは山形の暮らしに馴染んでいきます。これほどに仲良くなれるって珍しいのではないでしょうか。
「”地元を盛り上げたくて”みたいな、なんかうわついたこと言って構えて移住してきても、”あんた何言ってんの?”みたいに思うじゃないですか。大そうなことをしようとなんて思っていないし、正直に嘘をつかないで過ごすことが大事だと思うんです」(本坊さん)
本坊さんが徐々に人脈を広げて、そして仕事へと広がりを見せていったのは、無理な姿をつくらないこと、そして高すぎる志を掲げなかったことが多くの人との距離感を縮めていたのかもしれません。
「だから移住の理由も本音を話すんです。本当は”山形に来たくて、移住しました”っていう方がみんな喜ぶでしょうし、それを期待しているんでしょうけれど。”住みます芸人で指名されたから来ました”が僕の本音。嘘は言わない。でも、住むからにはその土地で文句を言わずにできることを一生懸命やる。これが僕のできることです」(本坊さん)
これだけ仲の良い人間関係が出来上がると定住しそうにも思えますが……。
「でもね、住んでる家は賃貸ですしね。一生家を買わない方向を考えているから、またどこかに引越すことになるかもしれません。その時になってみないとわからない。今は今で楽しいけれど、先はもしかしたらまたどこかに移住するかもしれない。そういう話をすると、山形の人たち寂しそうな顔するんですけどね。移住したからといって、移住先に一生住み続けなければならない。ってことはないんですよね」(本坊さん)
迷っている人がいたら、自分が斜に構えないこと
「移住をしたら、ずっと住み続けなければならないってことはない」ーーその一言にハッと目を覚まさせられた気持ちになります。なぜならば、移住を願う人たちの多くは、その土地に住むならば「失敗したらどうしよう・人間関係がうまくいかなかったらどうしよう」と、先々ずっと続く心配をしがちだからです。移住を先に経験している本坊さんは、そこをさらに突いてきます。
「いや、不思議に思うんですけど……。皆なんでそんなにトラブルがありき前提で家や土地探しに行くんですかね。確かに隣の人たちの顔が見えないっていう状況が怖いのはわかるんですけれど。でも正直、自意識過剰な気がします。相手にだって相手の生活があり、彼らにとっても知らない人が移住してくるのは不安や未知がある。見えない情報に翻弄されず、斜に構えないで、目の前の人たちのことをしっかり見ることが大事なんじゃないですかね」(本坊さん)
確かにその通りですね。自分のことばかりではなく、相手の立場に立って考えることで、不安や心配は和らぐのかもしれません。誰だって未知なる世界に不安が膨らむのは当然のことなのですから。
「僕も移住前に、空き家バンクなんかをネットで調べたりしました。今は手軽に情報が調べられるけれど、こと移住となると、ネットはやっぱり嫌なことしか情報として出てこないんですよ。でもそれを自分の実生活に当てはめてみると、ネットに上がっている情報が全てではなくて。鵜呑みにしない方がいいなって思いますね。半分ゴシップだと思えばいいんです」と語る本坊さん。
本坊さんがおっしゃるように、SNSやインターネットでの情報が手軽に入るようになったからこそ、不安の面積が広がっているというのはあるのかもしれません。
「だって、世の中には嫌な奴もいるし、一方ではいい人もたくさんいる。それは東京でも山形でも同じでしょう? だからパソコンやスマホを指先だけでいじって調べてないで、嫌なことも楽しいことも変化を面白がる。そのくらいの気持ちを持って、体ごとぶつかっていけば、“住めば都”になるかもしれないですね」(本坊さん)
実直な気持ちで、いいも悪いも変化として面白がる。そして失敗したと思っても引き返せばいいし、移住した先に住み続けることが必須ではない。その気持ちと行動が、移住を実現するには何よりも大切なのかもしれません。
「本音を言うとまた東京にいる芸人さんたちと一緒に仕事をしたいですよ、特に昔の仲間たちと」とぽつりと語してくれた本坊さん。しかし「東京の暮らしをまたしたいとは思わない、なんだかんだ楽しんでいるんだと思う」とも続けてくれました。
最近は芸人仲間も、本坊さんの山形暮らしにとっても興味を持っている様子。実際に「天津」の木村卓寛さんや、「おかずクラブ」の二人などが、遊びに来てくれたそうです。東野幸治さんはなんと地方移住に興味を持っているのだとか。こうして芸人さんにも、山形や移住のことを自分ごととして感じてもらい、更には街の人たちとの交流が増えるという流れをつくること。それが本坊さんにとってのこれからやりたいことだそう。ますます関係人口が広がっていきそうで、とても楽しみですね。