相撲稽古場をイラスト図解! 力士の成長を支える44部屋をスポーツ記者が描…

相撲の強さと人間を磨く。相撲の「稽古場」に秘められた、親方たちの思いとは?

引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

東京都を中心に、全国に43ある大相撲の稽古場(相撲部屋・数は日本相撲協会HPより)。力士にとっては技と心を鍛える場であると同時に、生活の場でもある。大相撲という特殊な世界に生きる若者たちは、そこでどんな一日を過ごしているのだろうか? また、それぞれの稽古場には、どんな特徴があるのだろうか?

「稽古場は、親方一人ひとりの思いが反映された空間なんです」。そう語るのは、日刊スポーツ記者の佐々木一郎さん。一つひとつの稽古場の様子を、詳細な図解イラストで読み解いた『稽古場物語』の著者でもある佐々木さんに、個性豊かな稽古場とそこでの力士たちの生活などについて聞いた。

相撲部屋での力士の生活とは?

――佐々木さんは2015年から4年にわたり、数多くの相撲部屋(以下、稽古場)を取材されています。力士にとって稽古場とはどんな場所なのでしょうか?

佐々木一郎さん(以下、佐々木):稽古場は鍛錬の場所でもあり、生活の空間でもあります。『稽古場物語』では44の稽古場を描いていますが(数は出版時点)、どの部屋も基本的なつくりは似ていますね。1階に土俵を中心とした稽古場、風呂場、調理場(ちゃんこ場)があり、2階以上が力士や親方の生活スペースになっています。関取(十両以上の力士)には個室が与えられ、それ以外の力士は大部屋での共同生活。ほとんどの稽古場は、伝統的にこの形を踏襲しています。

――個室がもらえるのは関取だけなんですね。

佐々木:はい。関取以外の力士が暮らす大部屋はプライベートな空間も少ないですし、不自由なことが多いです。ただ、だからこそ「早く関取になって、個室がほしい」というハングリー精神が生まれてくる。そういう狙いもあるのだろうと思います。

佐々木一郎さん(日刊スポーツ新聞社 デジタル編集部部長)。1996年日刊スポーツ新聞社入社。2010年3月場所から大相撲の担当記者になり、2013年4月からデスク。2015年から月刊『相撲』(ベースボール・マガジン社)で「稽古場物語」を連載。4年にわたって40以上の稽古場をめぐり、その特徴や親方たちの思いを自作のイラストとともに紹介してきた。近著は『関取になれなかった男たち』(ベースボール・マガジン社)。記者時代からの取材ノートは82冊を数える(写真撮影/藤原葉子)

佐々木一郎さん(日刊スポーツ新聞社 デジタル編集部部長)。1996年日刊スポーツ新聞社入社。2010年3月場所から大相撲の担当記者になり、2013年4月からデスク。2015年から月刊『相撲』(ベースボール・マガジン社)で「稽古場物語」を連載。4年にわたって40以上の稽古場をめぐり、その特徴や親方たちの思いを自作のイラストとともに紹介してきた。近著は『関取になれなかった男たち』(ベースボール・マガジン社)。記者時代からの取材ノートは82冊を数える(写真撮影/藤原葉子)

――他に、稽古場ならではの間取りの特徴や工夫はありますか?

佐々木:どの部屋も、稽古場から風呂場、ちゃんこ場までの動線がよく考えられていますね。稽古で体についた土や砂を生活空間に持ち込まないよう、稽古場と風呂場が直結していたり、勝手口から外を通って風呂場に行けるようになっていたりします。そして、体をきれいにしたあとは、そのまま1階でちゃんこを食べられる。

例えば、旧二所ノ関部屋は稽古場への出入り口に脱衣所があって、すぐに風呂場へ行けるようになっていました。一般的な住宅でも家事や生活のしやすさを考えて動線を考えると思いますが、稽古場の場合も稽古と生活をスムーズにつなげるという観点で、理にかなったものになっていると思います。

佐々木さんの手描きによる稽古場の俯瞰図。土俵を中心とした稽古場の間取りや特徴が一目で分かる(写真撮影/藤原葉子)

佐々木さんの手描きによる稽古場の俯瞰図。土俵を中心とした稽古場の間取りや特徴が一目で分かる(写真撮影/藤原葉子)

イラストの描き方は、佐々木さんが学生時代から大ファンだった作家・妹尾河童さんの著書で学んだそう(写真撮影/藤原葉子)

イラストの描き方は、佐々木さんが学生時代から大ファンだった作家・妹尾河童さんの著書で学んだそう(写真撮影/藤原葉子)

――ちなみに、稽古場での一日とはどういったものなのでしょうか?

佐々木:まずは朝稽古。開始時間は部屋により違いますが、早朝からスタートして午前中には終わるところがほとんどです。食事は1日2回で、1回目は朝稽古終わりのちゃんこ。最初に親方と関取が食べ、その後は番付順に食べていきます。力士が多い部屋の場合、最後の人が食べ終わるのは午後2時くらいになることもありますね。その後は、関取であれば夜のちゃんこまでフリータイム。ジムなどで自主トレーニングをする人もいますし、家族がいる場合は自宅に帰って翌朝の稽古に備えます。

一方、関取以外の若い衆は朝のちゃんこの片付けをした後、夕方まで大部屋で昼寝です。午後4時くらいから掃除や夜のちゃんこの準備をして、食事が終わった後は寝るまで自由時間ですね。

――自由時間はどう過ごす人が多いですか?

佐々木:スマホでゲームをしたり、動画を観たり、漫画を読んだりと、そこは一般的な若者と変わらないと思いますよ。もちろん稽古場やジムなどで自主トレーニングに励む力士もいます。なお、朝稽古に支障をきたさないために多くの部屋に門限があり、この2年間はコロナ禍にあるため、そもそも外出する時間に制限があります。

伝統と革新が融合する、個性的な稽古場

――どの稽古場も基本的なつくりは似ているということですが、それでも部屋ごとにちょっとした違いや個性は見られますか?

佐々木:そうですね。本当に部屋によってさまざまな特徴があります。正直、連載の取材を始める前は、多くの部屋でネタがかぶってしまうんじゃないかと心配していました。でも、実際は稽古場ごとに違いがあり、それぞれのストーリーを感じられるんです。

例えば、千葉県習志野市の「阿武松部屋」には、部屋のあちこちに美術作品が飾られていました。先代の親方が芸術を好んだ方で、弟子に対して「相撲だけしか知らないのではなく、絵など芸術にも触れてほしい。『これはなんだろう』と感じてもらうだけでもいい」という思いが込められているんです。

また、東京都江東区の「高田川部屋」には、力士が突っ張りの稽古をする「テッポウ柱」が5本もあります。これは角界でもここだけですね。普通は1本しかないため、親方は現役時代、ほかの力士とケンカしながらテッポウ柱を取り合っていたのだとか。そこで、弟子たちには存分に稽古をしてもらおうと5本も立てたそうです。

阿武松部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

阿武松部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

高田川部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

高田川部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

――親方の稽古に対する考え方が、部屋づくりに反映されているわけですね。

佐々木:東京都墨田区の「鳴戸部屋」も革新的ですよ。風呂場に2つの浴槽があって、温水と冷水の交代浴ができるようになっています。これは、「血液の流れをよくして疲れをとるため」という理由からで、鳴戸親方(元大関・琴欧州)のこだわりです。親方は現役引退後に日体大に入学するなど新しいことを学ぶのに貪欲で、従来の相撲部屋にはなかった取り組みを次々と実現させています。

鳴戸部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

鳴戸部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

また、いま注目しているのは二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)が茨城に建設中の「二所ノ関部屋」。構想では土俵を2面用意したり、大部屋もプライベート空間を重視したりと、既存の稽古場にはあまりなかった発想で部屋づくりをしています。高田川部屋の5本のテッポウ柱と同じように、土俵が2面あれば力士が順番待ちをせずに稽古に励めるだろうという考え方ですね。ちなみに、二所ノ関親方も現役引退後に早稲田大学の大学院で学んでいます。自分の経験とスポーツ科学を組み合わせ、試行錯誤しながら新しい稽古のあり方を模索しているんです。

――若い親方が新しい発想を取り入れて、稽古場のありようも変わってきていると。

佐々木:はい。大相撲の伝統を尊重しながらも、科学的なトレーニングや合理的なやり方を取り入れる親方は増えています。特に、学生相撲出身の親方は新しい試みに積極的な印象があります。大学の相撲部は4年間という限られた期間でトーナメントを勝ち上がるために、早く強くなれる効率のいいトレーニングを重視していますから。

例えば、日本大学出身の木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)が率いる「木瀬部屋」(東京都墨田区)は、力士を相撲に集中させるための合理性を追求しています。稽古場は冷暖房完備で、稽古をビデオで撮影し、テレビモニターですぐに確認できるようにもなっている。これは、古くからある稽古場では考えられなかったことですね。

木瀬部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

木瀬部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

――ちなみに、立地はどうでしょうか? 両国国技館に近い東京23区内ではなく、茨城、千葉、埼玉などに部屋を構えるケースもあります。相撲に集中するための環境としては、どちらのほうがいいと思いますか?

佐々木:一長一短があるので、どちらがいいとは言えません。6場所のうち半分は両国国技館で開催されるので、「通勤」のことを考えたら都心のほうが便利ですよね。でも、当然ながら都心は土地が高いので、稽古場自体は狭くなります。逆に、茨城や埼玉、千葉などの部屋は国技館からは遠いですが、かなりゆったりと贅沢なスペースがとれる。

例えば、千葉県松戸市の「佐渡ヶ嶽部屋」の敷地面積は630坪もあり、力士は充実した環境で稽古に励んでいます。一方で、東京都墨田区の「宮城野部屋」はもともとバイク店だった建物をリフォームしていて、かなり窮屈なんです。ただ、そんな環境で横綱の白鵬が優勝を重ねていたことを考えると、稽古場が狭いからといって強い力士が育たないとは言えない。結局は親方の考え方次第ですよね。一般住宅でも、都心で便利さを求めるか、郊外で広さを求めるかで悩むじゃないですか。それと同じことではないでしょうか。

佐渡ヶ嶽部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

佐渡ヶ嶽部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

宮城野部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

宮城野部屋 引用:『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

「ただ強くなればいい」ではない

――先ほど、新しい試みに積極的な親方が増えているというお話がありましたが、その一方で、あえて「昔ながらの稽古」を貫く親方もいらっしゃるのでしょうか?

佐々木:もちろんです。特に、歴史の長い部屋を受け継いだ親方や、中学卒業と同時に角界入りした叩き上げの親方はその傾向が強いかもしれません。「稽古場は“鍛錬の場”なのだから、冷暖房なんて必要ない。冬は汗をかけば温まるし、夏は暑さを我慢してやるものだ」と。

この根底には「相撲は修業の一環である」という考え方があります。つまり、ただ相撲が強くなればいいのではなく、人間教育にも重きを置かなくてはいけない。ですから、昔ながらのやり方を一概に時代遅れなどと切り捨てることはできませんし、どの考え方も正解なのだと思います。

「親方衆は、いかにして弟子の番付を上げ、いかにして人間教育と両立させていくかについて頭を悩ませています」と佐々木さん(写真撮影/藤原葉子)

「親方衆は、いかにして弟子の番付を上げ、いかにして人間教育と両立させていくかについて頭を悩ませています」と佐々木さん(写真撮影/藤原葉子)

――確かに、ただ競技能力の向上だけを目的とするなら、そもそも相撲部屋のシステム自体が決して合理的とはいえませんよね。

佐々木:そう思います。大部屋での集団生活や、ちゃんこ番、部屋の掃除までしなくてはいけないなんて、他のプロスポーツ選手であれば考えられませんよね。相撲で勝つことだけを考えるなら、ひたすら稽古だけに没頭したほうがいいし、各々が個室でリラックスし、ベッドでゆっくり休んで疲れをとったほうがいいのは明白ですから。ただ、それも全て、修業の一環なんです。

大相撲の場合、新弟子検査をクリアすればプロになれます。プロ入りのハードルは低い反面、関取になれるのはほんのひと握りです。10人のうち9人は30歳くらいまでに引退をして、相撲とは別の世界で生きていかなくてはならない。だからこそ、親方は弟子たちをいかに教育し、相撲界から卒業させるかに心を砕いているわけです。稽古場とは、そんな親方一人ひとりの思いが反映された空間なんですよ。

――佐々木さんのお話を伺って、稽古場を見学してみたくなりました。

佐々木:今はコロナの影響で中止になっていますが、以前は多くの部屋が朝稽古を一般に公開していました。また再開されたら、ぜひ訪れてみてほしいですね。もちろん、私語をしないなどマナーは守った上で、稽古場の空気を感じていただきたいと思います。

引用元: suumo.jp/journal