現在の生活や思いについて、小布施町のコワーキングスペース「ハウスホクサイ」で丸山さんに話を伺いました。
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます
若者会議から生まれた小布施町のコワーキングスペースをデザイン
丸山さんが小布施町を知ったのは2年ほど前。六本木ミッドタウンで開催されていた地域の町づくりを紹介する催しを見たことからです。「そこで、『小布施若者会議』というイベントがあることを知りました」と丸山さんは語ります。
これは、小布施町に若者を集め、2泊3日を一緒に過ごす間、地域のありかたを議論し、地域活性化のアイデアを出すプログラムです。「不思議なことをやってる町があるな、というのが最初の印象でした。著名人の講演会など、議論と提案だけで終わってしまうイベントは多いのですが、小布施若者会議では若者の発想を活かし、実践するところに新鮮さを感じました」
もともと町づくりに関心のあった丸山さんは、この若者会議に参加しました。「30人以上が集まり、教育・観光などのテーマに沿って、6人毎のチームに分かれて議論をするのですが、そのチームのなかで僕は最年長でした。ウェブ開発者、SE、デザイナーなどクリエイティブ職の人が多く、大学生もいました。そこから出てきたアイデアが、『ハウスホクサイ』です。
小布施若者会議がきっかけでできたハウスホクサイは、小布施町の利用率の低下が課題だった町民向けの施設を改装してできたコワーキングスペース。若者会議でこうした場をつくるアイデアが出て、小布施町との協議を重ねて実現したものです。地元の会員もいますが、2階は町営の宿泊施設になっているので、海外や都心からの利用者も寝泊まりでき、長期的な利用も可能です。
丸山さんはハウスホクサイのチーフデザイナーとして、ロゴ・名刺・告知媒体のデザイン・オフィスレイアウト・内装デザイン・インテリアデザインなど幅広く手がけてきました。これを機に小布施町に人のつながりもでき、今、月に1回ほどのペースで小布施町に滞在し、他のメンバーと企画や運営に携わっています。自宅の川崎市と、勤務地である東京・銀座、そしてそこに小布施町での活動が加わり、まさにデュアルライフを実践中です。
最大の動機は自己実現の場を求めていたこと
丸山さんは当初は、特に二拠点生活をするつもりはなかったそうです。それが実際にはそうなったのはなぜでしょうか。
「最も大きな動機は、デザイナーとしての能力や可能性を、東京での普段の仕事とは別の形で活かせる場所が欲しかったことです。一種の自己実現と言えるかもしれません」
スケジュールに追われてアウトプットが続くこともある東京の仕事のなかで、自分から進んでインプットをする必要性を強く感じていたことも、動機の一つだったそうです。
丸山さんは愛知県の出身で、小布施町には縁もゆかりもありませんでした。しかし小布施町にかかわった経験から、全く新しい環境で活動を始めるほうが、デュアルライフの拠点には望ましいのでは、と語ります。
「出身地などを拠点の一つにするやりかたもありますが、地縁や血縁のある地域は自由に活動しにくいこともあります 。むしろ、僕を誰も知らない土地でコミュニティに参加するほうがいろいろなことができると思います」
もちろんこれが閉鎖的な地域ではむずかしいのですが、その点、小布施町には非常にオープンな風土があります。
小布施町は、古くから交通の要衝であり、晩年の葛飾北斎が滞在して天井画を制作するなど、外から人が来ることにあまり抵抗がないという気風があります。それに加え、小布施町が外部人材を受け入れやすくしている大きな要因が市村良三町長です。市村町長は、小布施町で「若者版ダボス会議」をやりたいと考えていたなど、町外とのかかわりに積極姿勢で臨みました。
実際に日米学生会議の受け入れ、高校生向け国際サマースクール HLAB の開催など、市村町長のリーダーシップによって実現。この10年ほどで、地域や都市を研究する大学生、研究者などが頻繁に訪れるという若者にとっても開放的な町となりました。
丸山さんとともにハウスホクサイにかかわり、小布施町の観光DMO事務局の仕事を任されている谷口優太さん(25)は、こう説明します。
「小布施町は行政も住民もオープンマインドな方が多いです。小布施では“観光”でなく“交流と協働”という言葉を使います。見て帰っておしまいでなく、外の人が地域の人々とかかわりあうことを重視しているからです。長野県で最も面積の小さな町ですが、子連れで移住してくる人、新しく農業を始める人、起業する人など若い世代で移住してくる世帯も多くいます」
谷口さん自身、学生時代に高校生向けの国際英語サマースクールHLABの事業に携わっていた関係で、小布施町を初めて訪れました。大学卒業後、海外の旅行情報サイト運営会社に勤務した後、小布施町で開催されたスラックラインワールドカップのボランティアを契機に小布施に惹かれ、移住しました。
丸山さんと一緒にハウスホクサイを立ち上げ、ハウスホクサイを運営する法人の代表理事である塩澤耕平さん(31)も、現在は小布施に移住しています。長野県駒ヶ根市の出身で、これまで、IT系企業や在宅医療診療所で新規事業を担当していました。
「30歳を契機に会社から独立して、実家で土蔵を改装したカフェを始めようと考えていたのです。なので、若者会議での提案も、最初は半信半疑でした。丸山さんと『DIYで場所づくりだけ形にできたら合格点だよね』と話していたのです(笑)。しかし、出来上がってくる場所、丸山さんを始めかかわってくれる人たちの応援によって、徐々に意識が変わり、『法人を立ち上げて、運営までやってみよう』と思うようになりました」
塩澤さんは2017年2月の若者会議の参加をきっかけに小布施町とかかわり始め、同年12月に移住するまでは、東京・世田谷区の自宅と小布施町を行き来するデュアルライフを送っていました。
「この期間は小布施町の友人宅に93泊していました。「移住しなよ!」と簡単に言う人がいますが、移住は簡単に決断できるようなことではないと思います。だからグラデーションの期間があることは大事です。家族の理解を得たり、移住先のネットワークを構築して、自分の事業を考える期間をつくるという点でも二拠点居住は役立ちます」
塩澤さんは、ハウスホクサイの管理運営以外にも、小布施町の地域おこし協力隊でクリエイターと小布施をつなぐ仕事もされています。また、東京でのEC事業もフリーランスとしてやられているとのことで、兼業を組み合わせて事業と生活のポートフォリオをつくっているそうです。
丸山さんは、小布施町での生活や経験が、東京での仕事にも役立っていると語ります。
「以前と比べ、社内でのチーム形成や、業務改善の方法などをより強く考えるようになったと思いますね。小布施町では、普段の東京の仕事のなかでは接することがないタイプの人に出会えることが多いのですが、“やるべき”だけでなく、内面からの“やりたい”を意識して、物事に取り組んでいらっしゃる方が多いように感じます。そんな環境のなかで得たいろいろな新しい経験を社内で共有して、チーム成長のきっかけにすることも、会社での僕の役割だと感じています」
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