雑誌や書籍、新聞などで連載を持つ暮らしのエッセイスト・柳沢小実さんは、年4回は台湾に通い、台湾についての書籍も手掛けています。そんな柳沢さんは、「台湾の人の暮らしは、日本人と似ているようでかなり違って面白い」と言います。2019年に続き柳沢さんが、自分らしく暮らす方々の住まいへお邪魔しました。
台湾南部の街、高雄市へ
南北に長い台湾の南西部に高雄市があります。台湾の北部は亜熱帯気候で、南部は熱帯気候。そのために高雄は特に暑さが厳しいですが、海が近いおかげで風が抜けて、過ごしやすく感じます。また、海産物や果物もとびきり美味しく、豊かな食文化が育まれています。
高雄は台湾最大規模の貿易港を有する、台湾で2番目の経済圏。人口も台湾内で第3位の近代都市です。その実、一本道を入ると古い商店街やさまざまな老舗専門店がしっかりと根を張っていて、歩けば歩くほど味わいが増す街です。
台北市や台南市などの各都市とは、高鐵(新幹線)でつながっています。今回訪れたのは、高鐵・左営駅にほど近い、左営エリア。高雄市中心部から少し離れたのどかな地域に、「眷村(けんそん)」と呼ばれる、庭付きの古い平屋群があります。これらは中国から渡ってきた軍人とその家族が住むために建てられた住宅で、台北の四四南村や台中の彩虹眷村をはじめ、台南や高雄など台湾全土に数カ所あります。
70年前に軍人のために建てられた住宅群「眷村」
ここ左営の眷村は、海軍の軍人と家族のために1949年に建設されたもの。道が広く、たっぷりとられた敷地に似たような平屋がたくさん建っているため、郊外の新興住宅地のような印象です。通りには1-12の番地があり、数字が大きくなるほど家も大きくなります。偉い人ほど大きい家に住んでいたそうです。
5~10年くらい空き家だった家もあれば、ずっと住人がいた家もあり、老朽化のためにまとめて壊す話も出ましたが、高雄市文化局によって歴史的建造物を保全し活用するプロジェクトが2014年に立ち上がりました。
倍率10倍の眷村保全プロジェクトに応募して入居。条件は……
この家に住むのは、金工作家の吳佳濃さんと革細工作家の翁綉恵さん。二人で高雄市内にある古い日本家屋を用いたギャラリー、「田町河川」の運営もしています。彼女たちは大学の先輩と後輩で、二人とももともと古いものが好き。秤や船の照明などの古道具を集めたりしていました。気が合って以前から高雄市内のマンションで同居していましたが、都会ならではの希薄な人間関係を少し寂しく感じていたところに、眷村との出合いがありました。
彼女たちは眷村高雄市文化局のWEBサイトで、「住人が建物を修繕する代わりに、最長5年間は家賃不要」という眷村保全プロジェクトを知りました。もちろん居住希望者は多く、十数件の募集に対して500件の応募があったそう。条件は眷村に住むことで、ビジネスだけの用途は不可。眷村に住みたい動機や、二人が考えた間取図など、かなり詳細な企画書を提出し、選ばれた十数名とともに契約しました。
この家の敷地は、土地は121坪、家は43坪。かなり大きな建物です。
ここを、友達と4人で8カ月かけて修繕しました。費用は文化局から少し出してもらえますが、屋根、レンガ壁、ドア、窓はこれまでと同じ素材で、という注文も。お金がなかったため、この近所や友達の実家などの廃材や古い設備をもらってきました。シミがあった壁ははがしてレンガの土台に白いペンキを塗り、床のタイルはそのまま利用しました。
二階建ての家くらいの高い天井のゆったりとした空間です。ちなみに、眷村の家の下水は日本のシステムを利用していて、台風のときも溢れたりしないそうです。
古民家を自宅兼アトリエに
アーティストの二人はここが自宅兼アトリエです。近所の住人は学校の先生や芸術家、書道家など。もちろんアーティストだけでなく、「親がここに住みたがっている」「ここで子どもを育てたい」という人もいます。みんなが仲良しで、気軽にノックしておかずなどをおすそ分けしたり、一緒にごはんをつくったりしているそうです。
彼女たちは、建物の保全だけでなく、一般の人に向けて眷村を宣伝する役割も担っています。年に1~2回、それぞれ1カ月間ほど公開期間を設けていて、住民はその期間内の数日で自由に家を公開したり、ワークショップの開催などもできます。彼女たちはここで味噌づくりなどのワークショップもしています。
二人は昼間はバラバラに行動していて、翁綉恵さんはギャラリー「田町河川」で革細工のワークショップを行い、吳佳濃さんは自宅のアトリエで金工の作品制作をしています。感覚が合うので今は一緒に住んでいますが、それぞれパートナーができたら別々に住むようになるかもとのこと。
古い建物の活用とアーティスト活動のサポートを同時に実現した、高雄の眷村保全プログラムは、日本の古い住宅の再生や活用にも大いに参考になりそうです。